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笹幸恵
2021.1.17 17:12日々の出来事

『危ない法哲学』が面白い。

昨日は『危ない法哲学』(住吉雅美著)を読了。
昨年5月に発刊された本で、「面白そう」と
書店でランダムに選んだうちの一冊だ。
法哲学の大学教授が、講義のように
法律に関するさまざまな問いを投げかける。
軽妙なタッチで読みやすいのだけど、
人間の業や自然欲求と法との矛盾、
法律そのものの存在意義などを
さまざまな角度から照射していて考えさせられる。
知的興奮を覚えながら読み進めていったら、
最後のほうでこんな小見出しが。

「人間は家畜化されている」

環境管理(アーキテクチャ)について触れている部分。
これは命令とか強制ではなく、設計によって人間の行動を変えさせること。
(例/ファストフード店の椅子が長時間座るとお尻が痛くなるなど)
また、スマホがあれば何でもできる、といった思い込みもそうだという
(=スマホがなければ何もできない=スマホに飼いならされた状態)。

そして著者はこう述べている。

こんな風に、否応なしに人の身体に働きかけ
特定の行動へと誘導し、「何で?」「他のやり方も
あるんじゃないの?」と考える気力を奪ってしまう装置が
環境管理だ。(中略)
突然の新規な街の設計、新制度のゴリ押しに疑問をもたず、
「今後はこうしないとやっていけないんだ」と
ため息交じりに服従するようになったら要注意だ。
そうなったら、もはや人々は訓練する手間もいらない
家畜になるだろう。

人間がいかなることにもまったく疑問をもたず
憤りを覚えず、したがって抵抗も反逆もしない家畜に
なってしまうのはいかがなものか?
(中略)安寧と引き換えに、責任を負う苦しみを伴う
自由を犠牲にすることは絶対あってはならないと私は思う。
人間には違和感を抱き、疑い、反抗する能力がある。
それを思い起こさせてくれるのが法哲学なのである。

ふおおお、コーフン最高潮!
執筆の時期から言って、著者はこのコロナ・インフォデミックを
想定していない。
けれどもまさしく著者の言うとおり、
安寧と引き換えに自由を犠牲にしてはならんのだ!!!
(と、喫茶店で叫びそうになった)

一方、昨日の読売新聞「編集手帳」。
このコラムは最近、このコロナ禍について
情感的な訴えが目につく。
コロナで大変だよね、みんな帰省もできなかったよね、
今年はどんな気持ちで春を迎えることになるかな、等々。
「今が一番大変なとき」
「皆で一丸となって感染拡大に歯止めをかけよう」
と言わんばかりの善良っぽい市民を代表した主張を繰り返す。
昨日はこんな一文があって目を疑った。

カレンダーといえば、最近は表情をこわばらせて
眺めることが多い。連日発表される例の数字である。
「〇曜では最多」「〇曜では過去2番目」などと
報道がめっきり細かくなった。
曜日ごとの比較が無意味になるほど減るのは
いつになるだろう。


いや、もともと意味ないから!!!
私は、初めて「〇曜日では最多」のニュースを見たとき
爆笑してしまったけども。
曜日ごとに算出することに何の意味があるのか、
そもそもこんな細かい数字を出すことに
意味があるのか、
センチメンタルになりすぎて
考えることも放棄しているようだ。
それでいいのか、読売新聞!

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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