またも、緊急事態宣言がでるとのこと。
法改正もせずに発出するなら、どこまでいっても「処分性」といわれる強制力を伴わない要請であり「強力なお願いみたいなやつ」です。魔法の杖でも何でもありません。
結局「処分性」がないため、これが過剰だったとしても事後的に法的な検証も不可能。ましてやまた裁判所が全期日を取消したらどうする??
こういう状況だと、「必要性」の嵐の前に「許容性」(=合法性、合憲性)が吹っ飛ぶ。安保法制のときはみんな「許容性」(違憲か合憲か)を叫んでいたのに。
罰則叫ぶのは簡単だが、法学部1年で習う「LRA(より制限的でない他の選びうる手段)」があるかどうか、吟味してくれ。
感染症指定は?他にもとるべき手段がたくさんあるだろ
必要性の議論ばかりで許容性(合憲性)の吟味の声が法曹からもあまり聞こえない。
前にも書いたかもしれないけど、法律家は企業経営のときだって、顧問弁護士は常に許容性からある種経営利益にブレーキになるように見えたり、経営陣に反することだって言います。それが職責だから。法律判断を踏まえて経営判断をするんです。それが経営者です。
今回は政治家が経営者です。いったい、専門家はどんな専門家の声を聴いたのでしょうか。医学だけ?感染症だけ?
菅総理も加藤官房長官も、時短に応じなかった店名公表とか嬉々として話してましたが、行政法学上、「公表」って、一次的には「情報提供による国民の自己防衛」が趣旨です。
食中毒が出た店の公表とは違いますよねこれ。公表の制裁的側面だけをとらまえて、強制力のない法体系の中で、本来の趣旨を無視して制裁としてだけ転用するこの姿勢。
店名を公表しても、あいているかあいてないかは国民には明らかなわけであって、情報提供機能はありません。あるとすれば、「あそこは自粛警察によって粛清されるべき店だ」という情報提供です。
しかも、営業の自由を制限するにあたって、感染拡大防止という目的に対して店名公表という手段は実質的関連性ありますかね?
なんとなく雰囲気で「時短に従わなかった店の名前とか晒されて当然だよね」みたいな「空気の支配」でこんなものがどんどんまかり通っていくのは、まさに全体主義への扉をたたくよKnocking on 全体主義’s door!
この国の自由への意志や法の支配はどこいったんだYO!!!!