日本学術会議の任命拒否問題について、『「学術会議問題」致命的に見落とされてる視点~調達されるネット空間/議論できない国~』と題して東洋経済オンラインに寄稿しました。
この手の問題は、すぐに政権vs反政権の二項対立に押し込められて、本質的問題を各フェーズにわけて議論を深めることを妨げてます。まさに、『リベラルの敵はリベラルにあり』という側面が噴出した面もあります。リベラルエリートの奢りがそこにはあったわけです。
今回の問題は、政治的にも法律的にももちろん深刻な問題をはらんでおり、これを「政権vs.反政権」の構図に矮小化してしまっては、同様の問題を解決し、適切な責任主体に責任をとらせることもままならないばかりか、市民の政治への無関心やニヒリズムをさらに促進させてしまいます。
(1)政治的意図の問題(2)法律論的問題(3)制度論的問題、これに加えて、今回は(4)日本学術会議という組織の意義についてという4つのフェーズにわけて論じてみました。
特に、立憲主義の観点からすれば、⑶の制度論的問題で、今回のような機関的決定が違法であったときにこれを是正するシステムが日本の法体系に存在しないことです。
問題が起きても検証して改善できないなら意味ないやん、ということで書いてみました。
以下引用
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今回も、おそらく権力にはある種批判的であり続けた西田亮介氏(東京工業大学准教授)が、学問の自由の大切さは前提にしながら学術会議の在り方への批判的投稿をしたことに際して、「自称リベラル」かつ「反政権」の陣営が苛烈な批判的発信を浴びせたという一幕があった。
そこには、「反政権なら今回の学術会議問題について学術会議を批判するようなことはNG」といった固定的・記号的な公式が存在し、この公式から逸脱すれば、たちまち攻撃対象とされてしまう。筆者も、前述の元日弁連会長の法の無理解についてツイートしたところ、政権支持と思われる方々から、膨大な「いいね」と「見直した」等のエールをいただいた。
これも、「元日弁連会長=反政権→これを批判することは政権支持サイド」という方程式から、たくさんの「いいね」がついたのだろう。
しかし、そこに本質はない。問題は上記4つの問題についての視座であり、これを左右、政権・反政権は関係なく知恵を出して解決することである。