大大成功、九州ゴー宣道場!
感想殺到!
その中からひとつご紹介します。
九州道場お疲れ様でした。
感想です^_^
まず今回の道場、今までの中で1、2を争うくらい面白かったです。
施先生のお話で印象的だった事…
(良くも悪くも)日本語が日本人を作っている。言葉、文化は変えられないから、「日本人を変える」のではなく、日本人というものをよく理解し、その時代や状況に合わせて日本人の良い面を出していけばよいのではないか…という問いかけはストンと腑に落ちましたし、希望を感じました。
が、しかし、その日本人のよい面である「お天道様が見ている」「ご先祖様に申し訳がたたない」という感覚に代表される「恥の文化」が残念ながら昔に比べ薄れてしまった。というご指摘もまた深く納得してしまい、残念に思いました。
日本は死者の(目を気にする)国だったのに、今は同時代に生きる人間の目しか気にしていない、下手すれば身の周りの人の目しか気にしていないというお話は、耳が痛かったです。
死者の目を気にするという事は、裏を返せば自分が死んだ後の事も気にするという事。つまり未来の日本や日本人の事を考えるという事。「自分が」生きているうちに「自分が」いい目にあいたいとだけ思うのならば、そりゃ「生命至上主義」に陥ってしまうのも無理からぬ話です。凡人の私には難しいけど、少しでも「自分」など超えたもの、死者や未来の日本人に思いを馳せ、意識していかなければと思いました。
今回、1番心に刺さったのは、小林先生の「命を賭けた優しさを、いつか発揮できるのか?!」という問いかけを、いつも自分にしているというお話です。命を賭けた優しさを発揮するには思想的訓練がいる、その為にナチスドイツの映画を観たりして「自分がこの登場人物の立場だったら、ユダヤ人を匿ってあげられるか」と考えたりしているというお話、感動しました。
命を賭けた優しさ…めちゃくちゃ難しいです。というか、そんなの無理!!と思ってしまいますが、せめて、考える事くらいはしてみようと思いました。
小林先生が「ピーチ航空のマスク事件、マスク着用拒否した人が拍手の中飛行機を降りて行く時、一人くらい異を唱えるヤツがいてもよかった!」というご指摘、ハッとしました。せめて私は、こういう時に異を唱えられる人間になりたい!!と思いました。これだったら、命までは賭けなくてもできる事ですから。(めちゃくちゃ勇気いるけど(^^;;)
あと、最後に、先生の「生命至上主義は戦後の感覚、戦前はそんな事なかった!!」というお話、「戦争論」「靖國論」を読んできた私にとっては、悲しいけどそうだよなぁ…と納得してしまいました。
コロナ論が炙り出したものって、日本人が持っていた1番美しくて大事なもの、日本人は失ってしまっていた…って事かな…と思いました。
でも、悲しがっていても仕方ないですね。
せめて、諦めず、死ぬまで思想したいです。
今回の道場、そう思わせてくれました、ありがとうございました。
(モグさん)
先ほど帰って来ましたが、福岡空港では、「マスクを着用していないお客様は、場合によってはご搭乗をお断りする場合もあります」というアナウンスまで流れていました。
私はマスクの代わりに、何の役にも立たない「マウスシールド」をつけて、明らかにカッコ悪く目立っているのを意識しながら乗るのが精いっぱいでした。
乗った後に外してても、別に何も言われなかったんですけど。
日本人は日本人を取り戻さなければならない!
そのためにも、日本人とは何なのかを知らなければならない。
そんなことを気づかされた道場でした。