「男系」維持論者が時折(又はしばしば)唱える突飛な意見。
例えば「女系なんて無い」とか。
実際に存在するのは男系だけで、女系と言われているのは、
相手の男性の系統、つまり男系だけだ、と。そこから、女性天皇が国民だった男性と結婚して、そのお子様が即位すれば
「王朝交替(こうたい)」が起こる、などという妄想が生まれる。
「男系」社会のシナならば、確かにその通りだろう。しかし、わが日本の場合はどうか。
もし女系が存在しないというのが事実なら、男系維持派で「明治天皇の玄孫」
を名乗っておられる竹田恒泰氏は、明治天皇とは何の繋がりもないことになる。
彼の場合、内親王の血統、つまり女系を介して、はじめて明治天皇に繋がり
得るからだ。いわゆる旧宮家の東久邇(ひがしくに)家の、明治天皇・昭和天皇との
血統上の繋がりも、全て女系による。
従って、女系という血統そのものを否定するなら、それらの繋がりも
否定される結果になる。
そのことを自覚して主張しておられるのか、どうか。又、これまで皇族同士のご結婚は、法規範の上でも、歴史上の実例としても、
当たり前(又は望ましい)のこととされて来た(歴代天皇で時代的に最も
近い例では昭和天皇と香淳皇后のご結婚)。しかし、女系が“無い”なら、それは男系としては
同じ血統を引く者同士の結婚ということになる。
殆ど近親相姦に近い。
人倫上、到底許されないと見られるだろう。
現にシナでは、「同姓不婚(どうせいふこん=同じ男系の男女は
決して結婚しない)」という原則が、長く維持されて来た。わが国でその原則が全く通用しないのは何故か。
男系だけでなく、女系にも意味を認めて来たからだ
(それではじめて、同じ皇統に属していても区別が成り立つ)。更に、古代には女性を始祖とする氏族もあった。
尾張連(おわりのむらじ)・猿女君(さるめのきみ)・阿曇連
(あずみのむらじ)等。
母親の「姓」を名乗ったケースも珍しくなかった。
例えば『播磨国風土記』に物部守屋(もののべのもりや)を「弓削大連
(ゆげのおおむらじ)」と表記しているのは、母親が弓削連氏だったのに
基づく。蘇我入鹿(そがのいるか)が「林臣(はやしのおみ)」(日本書紀)とか、
「林太郎」(上宮聖徳法皇帝説)などと呼ばれていたのも、母親が林臣氏だった
可能性が指摘されている(東野治之氏)。西暦645年の「男女の法」で、良民同士の結婚で生まれた子を男系に
属させるべきことを“わざわざ”規定したのも、女系という「もう1つ」の
血統を前提としていなければ、考えにくい。同法が施行された後も、古くからの伝統が根強く残り、
子が女系に位置付けられる例が少なくなかった。
その事実は、『続日本紀(しょくにほんぎ)』・『続日本後紀(こうき)』の
記事などから知られる。
そもそも「継嗣令(けいしりょう)」(大宝令・養老令)に、女性天皇と
男性皇族が結婚して生まれた子を、男系ならば(一般皇族の子だから)「王」
なのに、ことさら「親王」と規定しているのは、母親の血筋、つまり女系に
位置付けられている為、と理解する他あるまい。…等々。
もはや一々、反証を列挙するには及ぶまい。
シナ男系主義の先入観(からごころ)を排して、素直に日本歴史の実情を
見れば、「女系なんて無い」などとはとても言えないことが明らかだ。【高森明勅公式サイト】
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