倉持麟太郎、初めての単著、『リベラルの敵はリベラルにあり』がちくま新書から9月9日に発売されます!
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安倍政権はたしかに法や制度を蔑ろにし、政治経済的にも国政上様々な停滞を生みましたが、これには批判・対立ばかりで「反安倍」に終始して、具体的な政策やビジョンを示せない左派リベラルのあまりの弱さもアシストし続けたと思います。
私は、この国には現在真に存在しない「リベラル」勢力がどうすればオルタナティブたりうるのかについて、「アイデンティティの政治」「AIとデータ社会」「法の支配と立憲主義」「カウンターデモクラシー」等々の視点から切り込んだのが本書です。
第1章、2章では、リベラリズムの病として、まずは設定が”意識高い系”すぎる「個人」像やリベラルのいう社会設計が非現実的に過ぎ、大多数の“生活者”たちに届かないし響かないどころか、それが産んだ①アイデンティティの政治と②グローバリゼーションの罪について論じます。
本章の結論としては、自分の帰属とは独立した包摂的なナショナル・アイデンティティ、包摂的ナショナリズムの構築を目指すべきとします。リベラルな価値観とナショナリズムやナショナルアイデンティティは整合するのか?と思われる方も多いかもしれないですが、さて、どうでしょうか。
第3、4章では、経済グローバリゼーションがデーターグローバリゼーションへと移行して密接に絡み合う現代で、G-MAFIA(Google等の米企業)とBAT(アリババ等の中国企業)だけで130億人分の個人データを有している現状、この政治的・法的な規律なしに、我々は我々でいられなくなります。特に、中国の台頭とデータグローバリゼーションが完全に連動していることからすれば、日本国としてどのようにこのデータ社会に向き合うかは、今後の東アジアにおける主権の問題とも関わることを論じています。また、もっとミクロに、「ネットは社会を分断するのか」をテーマに、逆に「分断しないのだ」とする様々なリサーチ結果を元にネット空間の特性を分析します。
5章6章は実践編で、現実の日本の国会、選挙、支援者がどれだけこの国の立憲主義と民主主義を踏みにじっているかという実例を挙げながら、法の支配や立憲主義を再度構築するための方法を論じています。リベラルエリートたちの自己防衛のための様々な戦略も暴いております。
日本政治における、政党、マスコミ、市民運動、支援者が織りなす「選挙ビジネス」とこれを死守しようとする永田町の生態系が、我が国の立憲主義と民主主義を腐らせています。この意味で、もう”選挙・代議制民主主義”だけに民主主義を担わせるのは限界なので、選挙・代議制民主主義を「相対化=弱める」必要があります。内からの相対化がカウンター・デモクラシー、外からの相対化が立憲主義と法の支配です。これらを、法律家の立場から、どこまでいっても「法」の視点で提案したいというのが本書です。
カウンターデモクラシーの章ではゴー宣道場もしっかり登場します!お楽しみに。
また、オタク倉持の芸風にもなり始めている(?)クラシック音楽家たちの取り組みを通じた民主主義の再生も紹介しております!バーンスタイン、ラトル、サロネン、ピリス、ドゥダメル、アランギルバート、ツィメルマン…よく編集者が許してくれました!!
これらの議論は、ゴー宣道場でよしりん先生や師範型との議論でかなり自分の中でブラッシュアップされ、芽生えたものが大きいです。
リベラルを自称しながら左派リベラルを批判するとすぐに「敵を間違えていないか?」と再批判の波がきますが、間違えていません。安倍政権も左派リベラルも両方リベラルの敵です。特に、リベラルと標ぼうしてながらリベラルではない人々は罪が重いと思います。
リベラルが再生するには、敵は安倍政権でも菅政権でも自民党でもありません、リベラル自身に敵がいます。安倍政権のその先へ。
この本も、まだまだ未完の部分がありますが、議論のたたき台になればと思っております。
9月13日のゴー宣道場の議論とも相当重なってきますので、予習的に読んでいただいてもおもしろいかもしれません。13日の道場当日は会場でも販売いたします!
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