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高森明勅
2020.8.21 06:00皇室

2・26事件と折口信夫

日本の近代史上、最大の「反乱」とされる2・26事件。
民俗学者の折口信夫(おりくち・しのぶ)はどう対応したか。
その最期を看取った岡野弘彦氏の発言が興味深い。

「2・26事件の後ですぐさま、〈おおきみ(大君=天皇)の伴
(とも=側近くに寄り添い従う者、従者)のたけを(建男=強く勇ましい男)
と頼みしが、きのふ(昨日)もけふ(今日)も 人をころ(殺)しつ〉
という歌を新聞に発表し、(事件に関わった)青年将校に批判的な感情を
あらわにします。

しかし、その青年将校たちが処刑された後、
『寿詞(よごと)をたてまつる心々』

という60枚くらいの論文を『日本評論』へ書くんです。
それも決して、青年将校たちへ、とは言葉に出しません。
けれども、読んでいるとわかるんです。

古代から、宮廷に謀叛(むほん)を企てて敗れ去った者が、
命の最後の際に宮廷を祝福する言葉を言って死ぬ。
…そういう例をいくつかあげて、
『そういう日本人の持ってきた心のありようが後の世の若者たちの心を
清らかにする』と言っています。

これは、裁判らしい裁判もなしに芝生の上にひざまずかせられて銃殺された、
にもかかわらず、最後に『天皇陛下万歳』と言って死んだあの青年将校たちへの
悼(いた)みなんですね。
…最初に憤って歌を詠(よ)んでいる。
その後半年あまりして軍の処刑の無残さを知ると、今度は論文で悼みの心を
表現するんです。
こういうところは実に折口らしい。
ただ、それを単純に右翼に利用されるのは絶対いやだから、
大変韜晦(とうかい)した文章になる」(『座談会 昭和文学史』第2巻)

ふと、昭和天皇のなさり方を思い浮かべる。
事件当時、政府・軍の上層部が揃って浮き足立つ中で、毅然(きぜん)として
断固鎮圧の方針を貫かれた。
もし天皇がこの時に、少しでも優柔不断なご様子を見せておられたら、
事態はどうなったか。
暫定内閣から憲法停止へ、という流れが出来てしまったかも知れない。
だから、天皇の冷厳なご姿勢こそが、事件を挫折させたと言っても、
決して過言ではない。

しかし、将校らが処刑された後に迎えた新盆(にいぼん)の折に、
銃殺された者と自決した者の数に合わせて、盆提灯(ぼんぢょうちん)を手配させ、
宮中の奥深く、お1人で静かにその魂を慰められたという
(影山正治氏『天皇論への示唆』、鬼頭春樹氏『禁断 2・26事件』など)。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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