団塊の世代であるうちの両親は、あまり世の中に惑わされない。
団塊世代が中心となった安保闘争の際も、
「お父さんは何してたの?」「どう思った?」と
以前聞いたことがあるが、
「もうフツーに働いていたよ」
「関わっていたのは大学生だけだろ」
と、じつにあっさりしたものだった。
私が小学生の頃、ファミコンが発売され、
瞬く間に人気が広がって親にねだったことがあったが、
「は? そんなもん我が家に必要ない」
と一蹴された。
皆が持っているからというのは理由にはならなかった。
中学生の頃、クラスメートが塾に通うようになり、
焦った私は「せめて夏期講習に通わせて」と
親に頼んだことがあったが、
「夏期講習ぐらいでうちの子が勉強できるように
なるとは思えない」という理由で一蹴された。
喜んで通わせてくれるに違いないと思っていた
私が間違いだった。
今となっては、ふたりしてのんびりとテレビを
見て過ごしているから、少しはコロナ脳に
なっているかと思ったけれど、違った。
ぶどう狩りに行こうと誘ったら、
フツーに「OK!」。
そんなわけで、先日、ぶどう狩りに行った。
大きな農園で、家族連れでかなり賑わっていた。
室内にある受付の前には消毒スプレー、
検温代わりのサーモグラフィーが設置してあった。
コロナ対策としては、もうこれで十分すぎるほどじゃないか?
室内ではマスクをしている人がほとんどだったけど、
そもそもぶどうをがっつり食べに来ているので、
農園では多くの人が付けたり外したり。
屋外の炎天下、コロナより熱中症のほうが大きなリスクだ。
東京から来たかどうか確認されることもなかったし、
そんなことさえ誰も気にしていないという感じ。
巨峰の粒を次から次へと口に運びながら
まわりを見渡す。
ここには「日常」があるなあ、と思う。
コロナ恐怖症にかかっていない「庶民」がいる。
知識人といわれる人たちが
PCRだのクラスターだのロックダウンだのと
慌てふためき、右往左往している中で、
「来たいから来てますが、何か?」と
思っている人たちが集まっているのだ。
これこそ、圧倒的なリアルではないか。
庶民万歳!!!
両親とともに、ひたすらぶどうを食べ続けた。
汗だくになりながら巨峰を頬張ったぞ~
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