『新しい公民教科書』の代表執筆者で
大月短期大学名誉教授の小山常実氏。
国民には、国家の政治との関係で、「4つの立場」がある、と整理しておられる。①政治に参加する立場。②政治に従う立場。③政治から利益を受ける立場。④政治から自由な、自主独立の立場。至って妥当な整理の仕方だろう。まず①は、国民が“公共の精神”を持って国家の政治に参加すること。
これは民主主義国家において当然だろう。
国民は参政権を持ち、国会議員など自分たちの代表を選ぶことができるし、
自ら議員になって政治を行うこともできる。
その他の政治活動も自由にできる。次に②は、①を前提に、民主主義のルールにのっとって、
法律や政治上の決まりが定められた場合、それに従わなければならない
ということ。
これは、法律が実際に機能し、社会の秩序を維持する為に、
欠かせない条件だろう。
例えば納税の義務など。
もし、その中身に不満があれば、①の立場で作り直せば良い。③は、政治は国民の利益の為になされるべきなので、当然に予想される。
国民は公共の福祉を享受し、自由と権利が侵された時は、
これを保障するように政治に求めることができる。
更に、人間として生きて行く為に、社会保障など必要な援助を
政治に求めることができる。①②は、結局、③の為のものと言える。
逆に、①②を欠いて、③だけを求めるのは、無理だろう。④は、政治から離れて、もっぱら個人として(他人の自由・権利を
侵害しない範囲で)自由気ままに振る舞うこと。
これも見落とせない大切な点だ。
もし、④を一切認めないとすれば、それこそ恐らく“最悪”の政治
ではあるまいか。このように見ると、上記の4分類は、実によく考えられた整理だろう。
ところが、文部科学省に『新しい公民教科書』の検定申請をした際に、
これら4つの立場のうち、②だけは絶対に認められないとして、
記述の削除を余儀なくされたという。にわかに信じがたいが、②は民主主義に反するとでも“早合点”したのか。
余りにも幼稚な、もしくは偏った検定態度と言わざるを得ない。②は、民主主義的な「決定」が実際に「効力」を持つ為に、
どうしても欠けてはならない“要件”だろう。
そもそも、民間の研究者や教育者が、自分たちで作成した教科書を
“わざわざ”文科省に検定申請すること自体、文科省が設定したルールに
(国民として)「従わなければならない(!)」からに他ならない。もし、文科省が②を否定するなら、教科書検定制度自体、
その客観的根拠を失うはずだ(学校の設置基準や教員資格等々も同様)。
ひょっとして、その事実に気付いていないのだろうか。
文科省がこのような奇妙な検定を行っている以上、国民にとって重要な
意味を持つ②の立場は、国内のどこの学校でも(教師に優れた見識が
備わっていない限り)教えられない、という結果を招くはず。これは由々しき問題だ。
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