世の中には、「知らない幸せ」「知る不幸」が
あると私は思っている。
もちろん、無知を礼賛するわけではない。
知って、考えて、学ぶ。これ人間の成長には必須。
だけど何もかも知ることが無条件に良いとは思わない。
たとえば恋人の浮気。
バレバレだったら、怒りたくもなる。
嫉妬もする。ついでに「もうちょっとバレないように
うまくやれよ!」と二重に腹立たしくなる。
最終的に、三行半を突き付ける。
知ってしまったがゆえの不幸。
好きな相手のことは何でも知りたいと思うのは
恋心としてわかるけれど、知らないほうが幸せ、
ということも世の中にはあるのだ。
知ればいいってもんじゃない。
今日、コロナの接触通知アプリの提供を政府が開始した。
これなど、「知らない幸せ、知る不幸」の典型だ。
「陽性者と接触していた」という通知が届いて、
何になるというのだ?
だいたい、このアプリを使おうなんて人は、
そもそもコロナを怖がっている。
避けたいがために知ろうとする。
だけど、陽性者との接触を知って安心するだろうか。
逆だろう。
多くの人は、不安にさいなまれる。
あー、私、コロナになるかも。
そうやって日々怯えて暮らすのだろうか。
これぞまさに「知る不幸」。
政府は安心材料ではなく、不安材料をばらまいている。
どうかしている。
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