室町幕府3代将軍で、公家・武家双方の頂点に立った
とも見られている足利義満。その国家的な位置付けを巡る問題は、
天皇の「本質」を探る上で貴重な示唆を含む。
そこで引き続き、義満が皇位の簒奪を狙っていたという
説を批判した見解を、紹介する。
「義満に数々の『僭上(せんじょう=身分・権限を越えた
ことをすること)』の振る舞いがあり、あるいは現実に
太上(だいじょう)天皇の尊号宣下(そんごうせんげ)が
あったにしても(幕府が辞退―引用者)
…天皇は子であっても君主、上皇は父であっても臣下
(しんか=君主に仕える者)である。
太上天皇の尊号とは天皇が臣下に贈る身位であり、
義満がたとえいかなる破格の待遇を受けようと、
それは後小松天皇との関係に基づく。
義満は後円融(上皇)とは対立したが、天皇を頂点とする
体制を損ずることは一切していない」(小川剛生氏)義満への評価にとどまらず、歴史上の天皇と上皇の
上下関係についての言及は、重要だろう。
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