戦後の歴史学界では暫く、前近代の天皇研究が立ち遅れていた。
その実情については、学界内部から次のような証言がなされている。
「言論出版の自由が保障された戦後にあっても、前近代における天皇制度の歴史的研究は進まなかった。…皇国史観に対する嫌悪の結果、一般の史家がおしなべて、歴史的対象としての天皇にはなるべく近づくまいとした傾向があったことは否定できない。…一方、戦後歴史学の主流、唯物史観学派の方にも、天皇制研究を敬遠する傾きがあった。
…天皇制の性格上、研究が進んで天皇権威の実態が明らかにされれば
されるほど、それは体制側・宮内庁を喜ばせるものにほかならない、
というわけである。…このように、学界の天皇研究自粛が重なり合って、戦後の前近代天皇制
研究ははなはだ低調であった」(今谷明氏)。勿論、さすがに近年はそうした奇妙な傾向は、次第に克服されつつあるようだ。イデオロギー的な先入観から離れた実証研究も積み重ねられて来ている。例えば、『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』『戦国・織豊期朝廷の政務運営
と公武関係』などの専門書を出して来られた神田裕理氏。近刊の『朝廷の戦国時代ー武家と公家の駆け引き』(吉川弘文館)で、
戦国時代の朝廷(天皇)の役割について、以下のように述べておられる。「『武士の世』とされる戦国時代、天皇および朝廷はたんなる
『伝統文化の担い手』として生きながらえていたわけではない。
…むろん現実的な支配の大半は武家権力者によって行われているものの、
朝廷はそこに正当性(どちらに理があるのか)・正統性(どちらがふさわしいか)
を判断する役割を担っており、それは一定の影響力を持っていたのである。
…裁判・調停(相論〔そうろん〕裁定)において、朝廷は主に社会的な立場や
身分秩序に関わる案件を担当し、どちらの主張に正当性があるか、を判断する
役割を負っていた。
…朝廷独自の機能や判断が存在しており、それらに対して武家権力者が必ずしも
優越しているわけではなかったのである。
…このような役割を果たしている朝廷だからこそ、武家権力者も朝廷を
威圧したり、ないがしろにすることはなかった。
公武両者は協調的な関係を保っていたのである。
武家権力者にとっても、政治支配の正当性・正統性の保証を行う朝廷は重要な
存在である。
それは必ずしも名目的な意味ではなく、朝廷からかかる保証を受けることによって、
武家権力者は被支配側の人心掌握や外聞・体面に関わる客観性を確保しようとした
のであろう。…戦国時代を通して現実的な政治支配をとり行う武家権力者、その政治・秩序の
保証者たる朝廷。
両者は相互的に補完し合って、この時期の国家の上部構造に位置づけられて
いたのである」戦国時代は、前近代において天皇(朝廷)の存在感が“極小化”した時期と見られて来た。
それだけに、実証的な根拠に基づいた上記の指摘は重要だ。
一方、戦後歴史学の主流(唯物史観学派)が実証研究を「遠ざけてきた」(今谷氏)
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