昭和天皇をお偲びする縁(よすが)として、謹んで御製
(ぎょせい)を掲げさせて戴く。山山(やまやま)の
色はあらたに
みゆれども
わがまつりごと
いかにかあるらむ
(昭和3年、26歳。ご即位後、初めての歌会始にて)身はいかに
なるともいくさ
とどめけり
ただたふれゆく
民をおもひて
(昭和20年、44歳。終戦時のご感想)さしのぼる
朝日の光
へだてなく
世を照らさむぞ
わがねがひなる
(昭和35年歌会始、58歳。勅題は「光」)遠つおやの
しろしめしたる
大和路の
歴史をしのび
けふ(今日)も旅ゆく
(昭和60年歌会始、勅題は「旅」。83歳)やすらけき
世を祈りしも
いまだならず
くやしくもあるか
きざしみゆれど
(昭和63年8月15日、87歳。
ご生涯で最後に迎えられた終戦記念日)特攻隊の生き残りだった亡父は、終戦時の昭和天皇の
「無私の聖断」の絶大な国家的・国民的恩恵を、幼少の私に繰り返し語った。
それが私の昭和天皇像の原点になった。
【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
BLOGブログ