今朝、イランがイラクにある米軍基地に
弾道ミサイルを発射した。
先日、革命防衛軍の司令官が殺害されたことに
対する報復で、作戦名には司令官の名が冠されている。
今のところ、ジブチの自衛隊の拠点に変化はないという。
政府は中東地域へ護衛艦と哨戒機を派遣する方針を
変えていない。
だけど、このまま報復合戦がエスカレートすれば、
中東地域は「戦場」となる。
今回、中東地域に自衛隊が派遣される根拠は
自衛隊設置法にある「調査・研究」だ。
日本周辺の領域警備も「調査・研究」。
海外派遣も「調査・研究」。
タンカーを護衛するのは「調査・研究」なのか?
まったく奇妙な日本語である。
とりあえず法として明文化されていない事態に
対応するときは、これを当てはめておけばよい。
正確ではないけれど、何となく正当化された気分になる。
まったく便利な日本語である。
もし不測の事態が起きた場合は、海上警備行動が
発令されるという。
「これでちゃんと対処できるのね、なら安心」
と思ってしまいがちだが、そうではない。
武器の使用権限は、警察官職務執行法が準用される。
「事態に応じ合理的に必要とされる限度において、
武器を使用することができる」と規定されているが、
正当防衛もしくは緊急避難に該当する以外は
「人に危害を加えてはならない」と記されている。
あれやこれやと条件が書かれているのだけど、
要するに海上警備行動が発令されたとしても、
自衛隊は「軍隊」として、他国からの攻撃に
十分に対処できるわけではない、ということだ。
それもこれも、憲法9条が「戦力」を持つことを
放棄しているから。
そのため、自衛隊はいくら規模と任務が大きくなっても
軍隊として行動することができない。
それでも国際情勢に対応していかなくてはならないから、
苦肉の策として「調査・研究」などという
奇妙で便利な、そして場当たり的なまやかしを
根拠として派遣されなければならない。
武器を使用したら、それは命じた上官ではなく、
撃った本人の責任が問われる。
こんなバカな話ってあるだろうか。
国家として、軍隊の派遣が必要だと判断するならば、
ちゃんと軍隊として送り出しなさいよ。
もういい加減、何となくの正当化と
場当たり的な対処はやめて、
この国のかたちについて
政治家はちゃんと議論をしてほしい。
自衛官の誰かが「戦死」しなければ、
政治家は目が覚めないのだろうか。
いや、「戦死」してもなお、日本に「戦死」はない、
これは「殉職」だと、言葉遊びを始めそうな気すら
してしまう・・・。