歌舞伎俳優の坂東玉三郎氏。
この度、文化功労者に選ばれた。
その坂東氏が三島由紀夫について語っている。「三島先生が書いてくださった文章のせいか、先生と私が親しく
お付き合いをしていたように誤解されている向きもありますが、
実際はほんの数回、それもごく短い時間、お目にかかった程度なのです。
…(三島作品の)『(椿説〔ちんせつ〕)弓張月(ゆみはりづき)』は、
主人公・鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)が『必ず嘆くな。葉月(はづき)も
末の夕空に、弓張月を見るときは、この為朝の形見と思やれ』と言い、海中から
現れた神馬(しんめ)に乗って去るところで幕になります。初演からちょうど1年後の1970年11月25日、三島先生はお亡くなりになりました。
この『弓張月』の時点で先生が何を考えておられたか、私にはわかりません。
ただ私には、為朝の最期と、先生のそれとが重なって見えるのです」
(『図書』11月号)―今から半世紀近く前の昭和45年11月25日。
それが作家・三島由紀夫の命日だ。
当時、中学2年生だった私は「三島事件」に直面し、強い衝撃を受けた。
今、思い返すと、まさにあの日、あの瞬間が、我が人生の転機だったと気付く。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
BLOGブログ
前の記事へ近況あれこれ
好戦的なシビリアンと抑制的な軍人次の記事へ