私は随分前から、側室不在の条件下で、皇位継承の資格を
明治以来の(側室を前提とした)「男系男子」に限定したままでは、
皇室そのものが存続できなくなる、と訴えて来た。
それは「男女平等」とか「ジェンダーフリー」といった観点からではない
(LGBTの当事者の1人がジェンダーフリーを激しく憎んでいたのを思い出す)。もっぱら、皇統の維持を願ってのことに他ならない。
しかし、側室不在を“前提条件”として織り込まなければならないのが自明で
あるにも拘らず、なおも「男系男子」をやみくもに維持しようと、今さら
時代錯誤な「氏(うじ)の論理」などを振り回す様子を見ていると、
そのメンタルの根っこに、「男尊女卑」の観念が黒々と横たわっているのを
感じざるを得ない。過去の側室制度を現代の価値観で裁くつもりは毛頭ないが、「男系男子」
維持論者の中に、時折、側室の復活を唱える者すらいるのは、
(論理的にはそれ以外に手立てがないとはいえ)
その呆れ果てた「男尊女卑」ぶりに、何ともやりきれない気持ちになる。【高森明勅公式サイト】
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