食器を洗いながらふと考える。
いま私がやっていることは女性差別?男尊女卑?
食器洗いそのものには罪はない。
生活するのに必要な家事のひとつに過ぎない。
夫がその傍らで掃除機をかけているなら、
家事の分担をしているというだけの話。
ソファで寝っ転がってテレビを見ているなら、
家事に協力的でないということになる。
夫と同じように働いてクタクタに疲れ、
なおかつ夫が「家事は女がやるもの」と
思って何もやらないのなら、要検討。
ただしそれも、夫がビビッて手を出さない
だけかもしれない。
食器洗いを率先してやったけれど
「あなたのやり方は気に入らない」と
奥さんに文句を言われた男性を私は二人知っている。
家事については家庭によって千差万別、
互いに不満のないように話し合って
やっていればいいような気もする
(これが難しいのだけど)。
問題なのは、仕事だろうか。
アメリカで、たまたま女性部下の名前でクライアントと
メールのやりとりをしていた男性が、
今までと仕事のやり方は何一つ変えていないのに
クライアントから無視されたり否定されたりして
ビックリした、という体験談は有名だ。
女性にとっては、それが「当たり前」だった。
つい先日も、私より一回りも下の女性が、
年配の男性から理不尽に、不信感たっぷりに、
上から目線で説教をされたと嘆いていた。
男性にも言い分はあるのかもしれないけれど、
少なくとも事のいきさつを知っている私からすれば、
その男が言っていることは、いちゃもんレベル。
「何でも上から説教男」に分類される。
果たしてこの若い女性が男だったならば
どういう対応をされただろう?
他方で、女性には慈悲的差別を好む傾向があるという。
たとえばその女性のためにドアを開ける、
カバンを持ってあげる、など。
慈悲的差別には「女性は男性よって守られ、
大切にされなければならない」という態度が
含まれている。
これを好む女性は、自分自身の意志や決定権を
相手に委ねる傾向があるそうだ。
そりゃあ誰だって自分が大事にされていると
思えば気分はいい。一般的にその男性は
「優しい人」ということになるだろう。
けれどこれも線引きがとても難しい。
女性のハンドバッグを紳士然として持っている
男性には「バカじゃないの」と思う一方で、
大根やら南瓜やらを入れた買い物袋を持たず
スタスタ歩く男性には「おいちょっと待て!」
と言いたくなる。
ただしそれも人による。
たとえば隣にいるのが小林先生なら、
「持つよ」と言われても断る。
筋肉痛で漫画が描けなくなってしまったら困る。
何より所帯じみた姿を自分にも周りにも
見せてほしくない。
慈悲的差別か、その主体を尊重しているのか、
自分自身ですら認識していないケースが
じつは多いのではないか。
と、つらつら結論のないままに書いたけれど、
男女差別とか男尊女卑だとかはかくも難しい。
しかも、これを公につなげて議論しようと
いうのが九州ゴー宣道場だ。
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九州ゴー宣道場
テーマ「九州は男尊女卑か?」
開催日時:令和元年11月10日(日)
開催場所:リファレンス駅東ビル貸会議室5Fv-1
(博多区博多駅東1-16-14)
入場料:1000円
応募締切:令和元年10月30日(水)
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