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泉美木蘭
2019.10.24 06:18日々の出来事

「優しい人」と人間関係の対処・雑感

きのうの生放送で時間があれば話してみたいなと思っていた
ことがあるので、ちょっとだけ書いておきたい。

ライジングの「教師いじめのみじめなポリコレ」と関連する
雑感なのだけど…

以下は、「大人」への所見だ。

「傷ついた」と訴える人はものすごく増えているけど、
自分を傷つけたり、理不尽に侵害してきた《張本人》に向かって、
正々堂々と怒りをぶつけるという対処ができない大人が、
不思議に多いなと思っている。

「NOと言えない日本人」という言葉があったけど、
いじめ、セクハラ、無理を押し付けられるなど、
物事の大小は人によっていろいろあるにせよ、
誰かに嫌なことをされたとき、

「やめてくれ」
「それは困ります」
「できません」
「私はもう手一杯なのであなたがやってくれませんか」

という風にその場で相手に言って、
それ以上、嫌なこと・不当なことをさせないよう対処する、
それをお互いにこまめにくり返していくことが、
人間関係を作っていくための健全な方法で、
慣れれば、ちょっとしたことなら角を立てずに
うまく調整できるようになると思うのだけど、
そもそもまったく対処ができない大人がなんだか最近目立つ。

対処できない人を「優しい人」「我慢強い人」と呼ぶことは
できるし、実際そうだと思うけど、
優しさや我慢によって溜まった欲求不満を、
まったく筋違いの噴出のさせ方をしてしまうこともあるし、
なにより、ある一定の年齢になって、社会に出るとなれば、

そういった基本的な対処ができないことは、
残念ながら「信頼できない人」とみなされる局面がいつか
やってくるというのが、現実だと思う。

勇気を出して自分で克服しなければいけないが、
それをしない、しなくてもいいという風潮がいまは強い。
むしろ、「傷ついたんです~」「みなさん、この傷ついた姿を
見てください~」という自虐的甘えんぼになっていく。

だいたい、人間って放っておくとすぐなにかに甘えだすのが
普通だと思うし、完全に甘えないなんて難しすぎると思うが、
自分が甘えていることをチェックできる人・修正できる人と、
できない人がいて、できない人というのは、
対人関係の対処もできないところがあるのではないかと思う。

本当に理不尽な目にあわされ、傷つけられた人ももちろんいる。
けれども、なんだか、
「実は他人に対して高慢な姿勢があるのだが、それを本人が
自覚していない『傷ついた人』」
という感じの人が、やけにフィーチャーされる昨今だ。

社会に対して「優しさ」を期待していると、いずれ、
にっちもさっちもいかない状況に追い込まれるのではないか
と心配になる。

 

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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