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高森明勅
2019.8.14 06:00皇室

沼山光洋氏の「自決」

令和元年5月11日早朝、靖国神社の内苑と外苑の間の中通りで、
割腹自決された人物がいた。
一部メディアが小さく報じたものの、一般には殆ど知られていないだろう。
それが沼山光洋氏だった。

沼山氏と個人的な接点は特に無かった。
しかし、私が靖国神社に行くと何度も顔を合わせた。
必ず同氏の方から、明るく大きな声で挨拶をして下さった。
「先生、おはようございます」
「先生、こんにちは」と。
いつも穏やかで笑顔の印象しかない。
しかし、その顔つきには厳しい意志の強さを感じさせる、何かがあった。

近年、氏が全国の護国神社を巡拝されている話は私の耳にも届いていた。
しかし、もう10年余り、靖国神社に参拝されるご遺族や戦友など高齢者の為に、
車椅子を用意してそれに乗って貰い、拝殿や参集殿まで押してご案内する
ボランティア活動を続けておられたのは、知らなかった。

更に昨年の秋からは、宮内庁職員が出勤する通り道に当たる
和田倉噴水公園付近で、「天皇陛下靖国神社御親拝(ごしんぱい)祈願」
と書いた横幕を持って立つ活動もしておられたようだ。
その様子を写した写真を拝見すると、雨の中、薄い透明なカッパを着て、
幕を手に、私がよく知っている笑顔で立っおられる。

宮内庁職員の中には、氏に「毎日ご苦労様」と声を掛け、
カイロを差し入れてくれる人もいたようだ。

明治時代に靖国神社が創建されて以来、歴代の天皇は靖国神社への
御親拝を続けて来られた。
ところが、平成の御代(みよ)において、遂にその事は叶わなかった。
それは勿論(もちろん)、上皇陛下のお考えによるのではない
(現に勅使〔ちょくし〕の御差遣〔ごさけん〕は一度も欠かされなかった)。
御親拝が可能になる状況を作り上げる事が出来なかった、国民の責任だ。
沼山氏の自決は、そのお詫びの為というのが大きな動機だったらしい。

氏のご遺書を読んだ人の話によると、
それには「絶対に(上皇)陛下への批判と勘違いしないでください」という
趣旨の一節があったようだ。
自決当日の日付のご本人の文章の冒頭には、以下のように書かれていた。

「天皇陛下・皇后陛下には心より皇室の弥栄(いやさか)を御祈念申し上げます。
上皇陛下・上皇后陛下には心より感謝申し上げます。
…平成の御代に御親拝賜(たまわ)れなかったこと天皇陛下、御祭神(ごさいじん)
の皆様に大変申し訳なくお詫びの言葉もありません」と。

締め括りの文章は次の通り。
「人間にとって最大の病は絶望と言いますが、
ならば希望は最高の良薬の筈(はず)です。
新時代令和を元気に明るく希望を持って皇室の弥栄、民族の誇りを守る為に
邁進(まいしん)いたしましょう」

氏の笑顔が彷彿(ほうふつ)と浮かび上がって来るようだ。
平成から令和への御代替(みよが)わりに当たり、
このような死を遂げた国民がいた事実を、
少なくとも私は忘れないようにしよう。

なお、5月11日は靖国神社の御祭神、
西田高光命(のみこと)のご命日だった。

【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/

高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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