令和元年5月11日早朝、靖国神社の内苑と外苑の間の中通りで、
割腹自決された人物がいた。
一部メディアが小さく報じたものの、一般には殆ど知られていないだろう。
それが沼山光洋氏だった。沼山氏と個人的な接点は特に無かった。
しかし、私が靖国神社に行くと何度も顔を合わせた。
必ず同氏の方から、明るく大きな声で挨拶をして下さった。
「先生、おはようございます」
「先生、こんにちは」と。
いつも穏やかで笑顔の印象しかない。
しかし、その顔つきには厳しい意志の強さを感じさせる、何かがあった。近年、氏が全国の護国神社を巡拝されている話は私の耳にも届いていた。
しかし、もう10年余り、靖国神社に参拝されるご遺族や戦友など高齢者の為に、
車椅子を用意してそれに乗って貰い、拝殿や参集殿まで押してご案内する
ボランティア活動を続けておられたのは、知らなかった。更に昨年の秋からは、宮内庁職員が出勤する通り道に当たる
和田倉噴水公園付近で、「天皇陛下靖国神社御親拝(ごしんぱい)祈願」
と書いた横幕を持って立つ活動もしておられたようだ。
その様子を写した写真を拝見すると、雨の中、薄い透明なカッパを着て、
幕を手に、私がよく知っている笑顔で立っおられる。宮内庁職員の中には、氏に「毎日ご苦労様」と声を掛け、
カイロを差し入れてくれる人もいたようだ。明治時代に靖国神社が創建されて以来、歴代の天皇は靖国神社への
御親拝を続けて来られた。
ところが、平成の御代(みよ)において、遂にその事は叶わなかった。
それは勿論(もちろん)、上皇陛下のお考えによるのではない
(現に勅使〔ちょくし〕の御差遣〔ごさけん〕は一度も欠かされなかった)。
御親拝が可能になる状況を作り上げる事が出来なかった、国民の責任だ。
沼山氏の自決は、そのお詫びの為というのが大きな動機だったらしい。氏のご遺書を読んだ人の話によると、
それには「絶対に(上皇)陛下への批判と勘違いしないでください」という
趣旨の一節があったようだ。
自決当日の日付のご本人の文章の冒頭には、以下のように書かれていた。「天皇陛下・皇后陛下には心より皇室の弥栄(いやさか)を御祈念申し上げます。
上皇陛下・上皇后陛下には心より感謝申し上げます。
…平成の御代に御親拝賜(たまわ)れなかったこと天皇陛下、御祭神(ごさいじん)
の皆様に大変申し訳なくお詫びの言葉もありません」と。
締め括りの文章は次の通り。
「人間にとって最大の病は絶望と言いますが、
ならば希望は最高の良薬の筈(はず)です。
新時代令和を元気に明るく希望を持って皇室の弥栄、民族の誇りを守る為に
邁進(まいしん)いたしましょう」氏の笑顔が彷彿(ほうふつ)と浮かび上がって来るようだ。
平成から令和への御代替(みよが)わりに当たり、
このような死を遂げた国民がいた事実を、
少なくとも私は忘れないようにしよう。なお、5月11日は靖国神社の御祭神、
西田高光命(のみこと)のご命日だった。【高森明勅公式サイト】
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