慰安婦像が「気に入らぬ」ことにかけては、わしも負けて
いない。
あんなものが芸術と思い込んでるリベラル左翼のアホさ
加減にはうんざりする。
アメリカのどこかの大学のマークが原爆をデザインした
ものらしいが、あの原爆マークを芸術だと思えるのか?
原爆マークを誇りに思っているアメリカ人の頭上に、
原爆を落としたいとわしは思っている。
慰安婦像も原爆マークも、わしは「気に入らぬ」。
だがわしは慰安婦像を展示するか否かよりも、もっと
貴重な価値として「表現の自由」を守りたい。
ただでさえ「人権イデオロギー」の前に、言葉や表現の
自主規制がどんどん進んでいく中で、「表現の自由」は
委縮する一方である。
「表現の不自由展」というなら、なぜ今現在の表現者の
自主規制を展示しないのだ?
リベラル左翼はナショナリズムが表現を圧殺したときは、
怒るのだが、人権イデオロギーが表現を委縮させる現状
には目を瞑る。
全くの二枚舌である。