『大東亜論最終章 朝鮮半島動乱す!』
感想のご紹介です!
『大東亜論』最終巻を読みました。
まずは何と言っても表紙がド迫力です。
射殺されそうな眼光と、浮き上がらんばかりの握り拳。
「覚悟」とか「鬼気迫る」とか、そういう言葉では表現しきれないインパクトです。
とにかく格好良い。
本編でも頭山満は格好良かったり可笑しかったり、とても魅力的です。
苅藻やおつまが惚れ込むのも分かります。
なぜ男も女も、誰もが頭山に惹かれるのか。
それは彼が時代を背負っているからだと思いました。
甲申事変、帝国憲法、選挙干渉、そして日清戦争。
激動する時代の中で、為すべきことを心に決め、命を懸けて己が道を進む。
頭山をはじめ金玉均や荒尾精、中江兆民など、時代を作ろうと志した人々の姿には胸を打たれます。
自分はどうか。
自分は今の時代に無関心でいないか。
流されるまま、何となく生きているのではないか。
そのように自問せずにはいられませんでした。
他には日清戦争の講和条約など、道義を忘れて力に頼んだことが、現代まで尾を引いていることも分かりました。
東洋王道を顧みず西洋覇道に突き進んだことが、結局は100年後の国益を損ねています。
西郷の精神を受け継いだ頭山は、「力が全て」という下品な思考から最も遠い場所にいます。
彼らの振舞いを見ることで、「王道」とは何かを感じることができます。
それが何かと言えば、「筋を通すこと」「他人を蔑まないこと」「命を惜しまないこと」ではないかと個人的には感じました。
他にも色々なことが、彼らの背中から学べると思います。
絵に関しては、表紙を始めとして人物が実に表情豊かです。
皆が生き生きとしていて、過去の人々という感じがしません。
金玉均が殺されたときの閔妃も、悪どさをインクに凝縮して描いたような喜びようで、とても腹立たしいです。
様々な感情が弾けるキャラクターたちに引き込まれました。
あと、頭山と苅藻のカラミでは、若干チンピクしました。
未完となってしまったことが非常に残念です。
いずれ何らかの形で、彼らの物語の続きが読みたいです。
(ゾウムシ村長さん)
この物語の登場人物たちには、ニヒリズムというものが一切ない!
こういう人って、かっこいいなあ、
こういう生き方って、いいなあ、
そう思える人が増えていけば、何かが変わるのではないか、そうなれば何か希望が見えるのではないか、とも思います。