「ゴー宣道場」の門弟門下生の新体制を作らなければ
ならない。
規模が大きくなるにつれ、分断が深刻になるケースも
あるから、指揮系統をわしに一本化しなければならない。
いざとなれば「じっくりよしりん会」も、その新体制の
中に組み込んで、いざとなれば、わしが全国どこでも
説明に行くくらいの覚悟が必要だろう。
「運動」になるのかというナイーブかつ神経症的な危惧
は要らない。
動員かけたりしないし、一斉に同じシュプレヒコールも
叫ばない。
あくまでも「公論」を目指すカフェ文化として、和気
あいあいとやりたいが、天皇退位にまで「ゴー宣道場」が
一定の役割を果たしたのだから、政治的効果も発揮できる
という確信を得た。
だが、「ゴー宣道場」の門弟門下生も「平等主義」に
かなり冒されている面があると、わしは観察している。
「出る杭を打つ」現象がはっきりとあった!
能力を持つ人材が確かにいる。
なのにそれを活かす体制になっていない。
悪平等で、誰かが幹部的なポジションに来ることに
拒否反応を示す。
誰も彼もが平等な方がいいという考え方は、悪平等であり、
社会主義になってしまう。
日本全体の縮図が、どうしても「ゴー宣道場」に現れる
のだが、門弟門下生は金儲けのためにやっているのでは
なく、たまたま「天皇制を守る」とか「脱属国を目指す」
という、わしの理念に共鳴してくれる者たちが、
ボランティアで集まってくれているものだと信じる。
もちろん、単なるファン意識でも構わないと思うから、
最近はミーハー度100の女性にも自ら志願して、何かを
やりたいと思うなら、活躍のチャンスを与えるように
している。
もちろん「良き観客」であることが、全てのベースに
あるので、設営隊に参加せず、静かに応募して、静かに
議論に参加して、静かに帰って行くという人々もOK、
その人たちもわしは門下生と思っている。