東京新聞で斎藤美奈子が歴史修正主義の原点はわしの
『戦争論』と書いている。
わしはネトウヨ批判は大いに結構と思っているが、
同時にネトサヨ批判もしなければ公平ではない。
まず、「SPA!」『ゴー宣』でも描いたが、歴史記述は
常に修正されている。
学問として、史料検証・史料批判が進んだら、
歴史記述は修正される。
これは学問的態度として、正しいことなのだから、
「歴史修正主義はいけない」という見解の方が危険
である。
次に、わしの態度は「史料検証」を原理原則として
いる。
「史料検証」「史料批判」に耐えられる歴史記述か?
これが全てである。
これは学問的態度なのだから、守らなければならない。
したがって、慰安婦強制連行も南京虐殺も、史料検証
で、「強制連行」や「30万人虐殺」が証明されたら、
わしは見解を変えなければならない。
斎藤美奈子も、ぜひ史料検証をやっていただきたい。
史料検証なしに感情で決めつけるのは知性の劣化である。
斎藤美奈子のような左翼も史料検証を無視するが、
右派論壇誌の言論人や、ネトウヨも史料検証を無視する。
万世一系という「伝承」も史料検証なしに語っているが、
文科省の検定すら通らないフィクションである。
「126代、例外なく男系で続いてきた」というなら、
神武天皇と欠史8代の実在を証明しなければならない、
弘文天皇の正当性も実証しなければならない。
左翼も、右翼も、史料検証をさぼる。
史料検証から逃げる。
たまたま自分にインプットされた情報のみで、結論を
出して、思い込みのみで感情的に語っている。
もっと冷徹に、右派か左派かのポジション・トーク
から離脱して、史料検証のみで語らなければならない。
「歴史修正主義」という言葉は学問を無視している。
もし間違った歴史記述と言いたいなら「歴史ねつ造
主義」と言った方がいいだろう。