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倉持麟太郎
2019.4.29 17:43

『「憲法尊重擁護義務」は平成で終わったのか』@朝日新聞『論座』に書いてみました

久々の寄稿です。『WEBRONZA』から『論座』に戻って(新しくなって)すぐの寄稿です➡『「憲法尊重擁護義務」は平成で終わったのか』

平成という時代と日本国憲法について考察してみました。

年末に上げてくれと言われた原稿がやっと先日(!)上げられました。日々の書面と締め切りにに追われ過ぎで、久々にこういう文章書きました。

昭和の病理現象にあて布しかしてこないで、”このままいったら確実にぶっ壊れる”状態を「見て見ぬふり」した結果の現状。
そこに、憲法はどう歯止たり得たのか、たり得なかったのか。
日本は西欧契約型ではない暗黙の善き申し合わせが機能する社会だったはず、それを、法的規範とは違う不文律としての民主主義の柔らかいガードレール(レビツキ&ジブラット@ハーバード)との比較で日本独自の”立憲主義の柔らかいガードレール”と表現しました。このガードレールが無力化した時代でした、平成。

この着想は、西欧型と異なる日本独自の法文化ということで、よしりん先生との議論でとても重要な論点だと思い考え続けてきましたが、まだ表現しきれていませんが、書いてみたいと思い、まとめてみました。この、契約型だけでない日本独自の法文化を再興するためにも、まずは再認識しないといけません。ただ、戦後の”解釈”という名の不文律は、いただけませんよね。ゴー宣道場でも再三でている「善き忖度」という文化を、どうやったらよみがえらせられるか、日々考えています。

この不文律に向き合う日本国憲法の規定は99条の憲法尊重擁護義務と12条の不断の努力。憲法尊重擁護という「お願い」ベースで機能してきたように見えた法秩序を完全に破壊した平成。
実は、この憲法尊重擁護義務に息吹を与えるのが12条の不断の努力であり、我々の日々の日常ではないのか、というのが本稿の問題意識です。
このような日本国憲法の構造を、「国家」「個人」そして「権威」から分析してみました。
短く書こうと思いつつ、また前後編に…
是非、連休に眠気を誘う小難しい文章に、お付き合いください。後編は後日

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019042700003.html?page=4

倉持麟太郎

慶応義塾⼤学法学部卒業、 中央⼤学法科⼤学院修了 2012年弁護⼠登録 (第⼆東京弁護⼠会)
日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。東京MX「モーニングクロ ス」レギュラーコメンテーター、。2015年衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考⼈として意⾒陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

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