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高森明勅
2019.4.19 07:00

伊勢神宮と天皇

拙著『私たちが知らなかった天皇と皇室』(SBビジュアル新書』)
に次のような一節がある。
「歴史上の天皇と神宮との具体的なつながりを点検すると、天武(てんむ)天皇(40代)から今上(きんじょう)陛下(125代)
に至るまで、1000年以上の期間で『たてまつりもの』『奉告』
『お祈り』などが史料のうえで確認できなかった天皇は、
仲恭(ちゅうきょう)天皇(85代)と長慶(ちょうけい)天皇(98代)だけだ。
これは驚くべき事実ではないか」と。言う迄もなく、仲恭天皇は前近代には
「九条廃帝(くじょうはいてい)」と呼ばれていて、
明治3年に初めて歴代に加えられた(ご在位期間は僅か3ヵ月足らず)。

南北朝時代の長慶天皇も、大正時代に新しく即位の事実が確認され、

同15年に歴代に追加されている。天武天皇以降、それ以外の天皇は全て、
伊勢の神宮との深い繋がりが史料で確認できる。
これは、神宮が皇室にとっていかに重大なご存在であるかを、
如実に示す事実だろう。
しかし、先の引用部分を読んで、
「高森がこの短い一節を断定的に書く為には、
どれだけ膨大な史料に目を通さなければならなかったのだろうか。凄い!」
と感心した者は、誰もいないようだ。
しかし、別に感心するには及ばない。
私の前にちゃんと調査して下さった方がいるからだ。
その成果が八束清貫(やつかきよつら)氏
『皇室と神宮』(神宮教養叢書 第4集、昭和31年・神宮司庁刊)。
私はそれを覗いたに過ぎない。
同書には次のような記述もある。
「明治天皇は、明治2年3月12日を以(もっ)て、

神宮御親拝(ごしんぱい)を遂(と)げさせ給(たも)うた。
…斯(か)くして有史以来はじめての天皇の神宮御親拝を遂げ、
後代への先ショウ(足プラス従、せんしょう=先例)を開かせ
給うたのである」と。
意外に思う人がいるかも知れない。
実は、天皇ご自身による神宮へのご親拝は
明治天皇が最初だったのだ(明治天皇の神宮ご親拝は計4回に及ぶ)。
この度、4月18日に今上陛下による「神宮親謁(しんえつ)の儀」
が執り行われた。
天皇「親(みずか)ら謁し給う」
つまり天皇御(おん)親ら皇祖に請(こ)い見(まみ)え、
ご譲位のことを奉告されたのである。
“謁”は「もと神に告げ求める意。…のちに貴人にまみえる意に用いる」
(白川静『字通』)。
これも明治天皇の先例があってこそ。
改めてその事実を銘記したい。
ちなみに明治2年の神宮ご親拝のご様子は、
明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館に掲げられた
松岡映丘(えいきゅう)の「神宮親謁」に描かれている。
剣璽(けんじ)が先に進んでいる様子も見える
(但し璽は死角に入っている)。
高森明勅

昭和32年岡山県生まれ。神道学者、皇室研究者。國學院大學文学部卒。同大学院博士課程単位取得。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校「歴史観・国家観」講座担当、などを歴任。
「皇室典範に関する有識者会議」においてヒアリングに応じる。
現在、日本文化総合研究所代表、神道宗教学会理事、國學院大學講師、靖国神社崇敬奉賛会顧問など。
ミス日本コンテストのファイナリスト達に日本の歴史や文化についてレクチャー。
主な著書。『天皇「生前退位」の真実』(幻冬舎新書)『天皇陛下からわたしたちへのおことば』(双葉社)『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)『はじめて読む「日本の神話」』『天皇と民の大嘗祭』(展転社)など。

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