憲法学者の美濃部達吉博士は、
戦前の特殊な「空気の支配」のもと、天皇機関説事件で貴族院議員の辞職に追い込まれ、更に右翼の暴漢に銃撃されて重傷を負った。戦後には『日本国憲法原論』(昭和24年、同27年に補訂版)
を刊行されている。その中で、憲法の「象徴」規定を巡り以下のように述べておられた。「『象徴』とは他の語で言へば『形態的の表現』とも謂(い)ひ得べく、天皇の御一身が国家の現れであり、国民の全体が一体として結合して居る姿であるといふ趣意を示すものである。国家は勿論(もちろん)思想上の無形の存在であり、国民の統合と言つても唯(ただ)思想上に全体を統合せられたものとして思考するといふに止まるのであるが、斯(か)かる思想上の無形の存在を形態的に表現したものは即(すなわ)ち天皇の御一身で、国民は天皇を国家の姿として国民統合の現れとして仰ぎ見るべきことが要求せらるるのである。それは単に倫理的感情的の要求たるに止(とど)まるものではなく、憲法の正文で定められて居るのであるから、必然に法律的観念たるもので、即ち国民は法律上に天皇の御一身に対し国家及(およ)び国民統合の現れとして尊崇すべき義務を負ふのである。国家の尊厳が天皇の御一身に依り表現せられ、国民は何人も其(そ)の尊厳を冒涜すべからざる義務を負ふのである」と。戦後の特殊な「空気の支配」のもと、こうした理解は長く封印されたままだ。今上陛下はこれまでの30年余り、国民の為に、「日本国」及び「日本国民統合」の「象徴」たるに相応しく行動すべし、という憲法の要請に「全身全霊」でお応えになって来られた。これは今や何人も否定できない事実だろう。
一方、国民の側はどうだったか?