1月29日、永田町の憲政記念館で
「『明治の日』実現!総決起集会」が開催された。
11月3日は明治天皇のお誕生日。
だから明治時代には 「天長節(てんきょうせつ)」
と呼ばれる祝日だった。大正になると当然、
天長節は大正天皇のお誕生日(8月31日)に移動。その為、この日は一旦、平日となっていた。
ところが、
明治天皇を仰ぎ慕う国民の気持ちが強く、
昭和2年に「明治節」という祝日として復活した。しかし、先の大戦の敗北後、
占領当局の意向で制定された祝日法(昭和23年)では、
「文化の日」という明治天皇とも明治時代とも無縁の祝日に変更された。そもそも、こうした経緯自体、
一般には余り知られていないのかも知れない。近年、この日を「明治の日」に改めようという
運動が起こり、目的を同じくする議員連盟も設立された。この集会には、
同議連会長の古屋圭司衆院議員をはじめ、
会長代理の高市早苗衆院議員、
幹事長の稲田朋美衆院議員、
事務局長の山田宏衆院議員他、
国会議員が何人もご多忙の中を参加してくれた。法律改正が必要なテーマだけに有難い。
又、明治天皇をお祀りする明治神宮からは
網谷道弘権宮司(ごんぐうじ)がお越し下さった。
更に、大原康男國學院大學名誉教授、
評論家の江崎道朗氏などが登壇してスピーチ。私も及ばずながら、11月3日を何故「明治の日」に改めるべきか、
自分なりに焦点と思うところを端的に語った。
会場を見ると、日本会議の椛島有三事務総長が
一般参加者の1人として後ろの方の席に座っておられた。当日、メディア関係では朝日新聞の記者が
取材に来ていたようだ。翌日の紙面の「政界ファイル」というコーナーで、
古屋議連会長の経過報告の“さわり”
(話の最も印象的な部分。
冒頭・出だしの意味で使うのは誤用なので、念のため)
を的確に紹介していた。優秀な記者が来ていたのだろう。
「明治の日」について、国民の関心はまだ低い。
議員の熱意も十分ではないようだ。
だが、私も少しばかりお手伝いした 4月29日を
「昭和の日」に改める運動も、 決して平坦な道のりではなかった。祝日法の改正が実現したのは
平成17年、実際にそれが施行されたのは19年からだった。私がかねて指摘して来たように、
「明治の日」の場合は「昭和の日」以上の困難さが予想できる。しかし、早々と諦める必要はない。
なお聞くところによると、
神道政治連盟がこの運動に極めて非協力的だとか。「昭和の日」の時にはしっかり協力してくれていたはず。
どういう理由か詳しい事情は知らない。
だが不可解だ。
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