憲法は、天皇を「日本国の象徴」であり、
「日本国民統合の象徴」と規定する(第1条)。日本国の象徴とは何か。その役割とは何か。「国民統合」とはわざわざ区別されている。そうであれば、(国民共同体ではなく)国家の“統治組織”の「象徴」だろう。統治組織の“頂点”にあって、その円滑な運用を可能にする為に最も必要な、威厳や尊厳に関わる部分を担われる。憲法に列挙されている13種類の「国事行為」は全て、「国の象徴」としての“務め”を網羅した内容になっている。それらは原則、国民との“接点”を持たない(国事行為として行われる「即位の礼」のうち、「祝賀御列〔おんれつ〕の儀」が僅かな例外か)。一方、「国民統合の象徴」とは何か。その役割とは何か。国民統合の“中心”にあって、制度的に固定化されている統治組織とは異なり、時々刻々、変化し流動する国民の「統合」という状態を、望ましい姿で保つ為に“精神的な”拠り所となられる事が求められる。その為には、国事行為のように予めメニューが決まった事だけをなされば良い(ポジティブリスト方式)、という具合には行かない。天皇陛下は、まさに日々変わり行く社会の要請や、人々が必要としている事柄を機敏に察知され、憲法上の天皇の地位にそぐわないご行動を除き(ネガティブリスト方式)、歴史に深く学ばれつつ、あらゆる努力を重ねて来られた(それが陛下のおっしゃる“象徴としての行為”)。その長年のご努力がいかに国民の心に届いたか。それは、平成最後の「天皇誕生日」(平成30年12月23日)に皇居に詰めかけた多くの国民(8万2850人!)が、口々に皇室への「感謝」を語った事実が証明しているだろう。威厳(国の象徴)と慈(いつく)しみ(国民統合の象徴)。普通なら矛盾・対立しかねない両者を、天皇陛下はごく自然な形でご一身に体現しておられる(その背景には皇室祭祀の厳修という事実がある)。憲法に書き込まれた“象徴天皇”という至難な命題に、歳月をかけて息を吹き込まれ、血を通わせて来られたのは、
他ならぬ天皇陛下ご自身であられた。