多分、倉持師範のブログの「追伸」が
私の疑問への返答だと思うので、
これについて返信します。
表現の自由を振りかざしてはならない。
判例など関係なく、常識で私はそう思っています。
と同時に、人権も振りかざしてはならない。
これは倉持師範も私も当たり前のこととして
共有していると思います。
そのバランスが大事だということも
意見の一致をみていると思います。
私はその上で『新潮45』はつぶれて当然だと
思うのはなぜなのか、と聞いています。
「個人の尊厳」による権利行使の制限に
あてはまる事例なのでしょうか。
そうなると、他の似たような特集をする雑誌も
同じように制限されて然るべきですよね。
そうなると、どんどん表現する場は
失われていきますね。
また、そこには差別的な特集記事とは全く関係のない
執筆者もたくさんいます。
彼らの表現の自由も一緒くたに制限されますね。
それを是とするのですね?
ということを聞いています。
つぶれて当然、という倉持師範の意見は、
それを意味するのですよ。
そこのところを、考えてみてください。
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