11月30日は秋篠宮殿下の53歳のお誕生日。
1人の国民として心からお祝いを申し上げる。ただ、この日を控え、事前に東京新聞と北海道新聞の取材を受けた。お誕生日に際して予め行われる記者会見で、秋篠宮殿下が来年に予定されている大嘗祭を巡り、少し波紋を呼びそうなご発言をされたというのだ。私のコメントの一部は両紙に掲載された。私は残念ながら、秋篠宮殿下にはいくつか御勘違いがあるのではないかと考えている。まず、大嘗祭そのものは皇室の行事であっても、その費用の出所をどう判断するかは、専ら国政事項に属する。皇族(しかも次代の皇嗣)が敢えてそこまで踏み込んで、政府の方針へのご不満を直接述べられたのは、憲法が天皇に禁じた国政権能との関わりで疑問を持たれかねない(天皇ではない皇族なら国政権能に関与してよいという訳では勿論ない)。それは、国民統合の象徴たる天皇のご近親としても、必ずしも相応(ふさわ)しくないのではあるまいか。又、大嘗祭は天皇の一代に一度の重大な祭儀であって、皇族といえども、天皇(今回なら今上陛下と祭りの当事者たる皇太子殿下)以外の方がその在り方にあれこれ言及されるのは、僭越な振る舞いとも見られかねない。更に、大嘗祭は勿論、神道最大の祭儀と言い得るもの故、宗教的な性格を否定できない一方で、古代以来の皇位継承に伴う伝統的儀式であり続けて来たという事実がある。政府は大嘗祭の宗教的意義とは関係なく、憲法それ自体が皇位の世襲継承を要請している限り、その継承に伴うべき伝統儀式の執行には公的責任を負うとの判断から、公費(宮廷費)の支出を前回も行ったし、今回も行おうとしている。奈良県にある法隆寺や東大寺の仏像などは勿論、宗教的な礼拝対象だが、その修復に際しては、文化財保護の観点から公費が支出される。それと共通した扱いだ。従って、これを直ちに憲法の政教分離原則に抵触すると考えるのは、当たらない。そもそも、秋篠宮殿下が大嘗祭の費用を賄うべしとお述べになった内廷費は、国庫から毎年、定額が支出されており、その使い道は恒例の祭祀やそれに奉仕する掌典職の人件費その他、ほぼ決まっている。そのどこから工面できるとお考えなのであろうか。内廷費の全額を充てても到底足りないのが実態だ。しかも内廷費は、「天皇のお手元金」とされるもの。いくらご近親であっても、その使途について内廷“外”の方が口を挟むのも筋が違うのではないか。なお、大嘗祭の「本来の形」についても、誤解されている節がある。大嘗祭の古儀の在り方については、貞観(じょうがん)の『儀式』や『延喜式(えんぎしき)』に詳しい規定がある。それを見れば、大嘗祭が元来いかに壮大な国家・国民を挙げての祭儀であったかが分かる(拙著『天皇と民の大嘗祭』参照)。今回の秋篠宮殿下の大嘗祭に関するご発言は、記者の関連質問にできるだけ親切に答えようとされる中で出たものだ。お考えの基礎にあるのは、税金の使い方は厳格にという、国民への深い思いやりだろう。まことに有難い。但し、そのご発言の内容は残念ながら、ご自身の重いお立場に照らして十分に慎重なものであったかは、些(いささ)か首をかしげる。おめでたいお誕生日にかかる妄言。ご無礼を平にお詫び申し上げる。