敗戦後間もない頃(昭和22年から24年)、法哲学者の尾高朝雄と憲法学者の宮沢俊義との間で、「国民主権と天皇制」を巡る論争があった。尾高・宮沢論争とかノモス主権論争と呼ばれる。学説史的には、宮沢の勝利に終わったというのが、一般的な理解だろう(杉原泰雄氏など)。ところが現在、東大法学部で憲法学の第一人者と見られている石川健治氏が、尾高説を高く評価しておられる(「天皇の生前退位」法律時報88巻13号、「8月革命・70年後―宮沢俊義の8・15」『「国家と法」の主要問題』所収)。後者の論文から。「法共同体としての国家の構造連関を、内在的に理解しようとすれば、至高性=主権性の形容に相応しいのは『ノモス(根本法、政治の矩〔のり〕―高森)』以外にはありえない。これにより、戦前に天皇主権説を否定し、戦後は通俗的な意味での国民主権説を否定する、というのが、尾高の首尾一貫性であった。彼は、そうした文脈において、『天皇の統治を中心とする日本の国体を、国民主権とは氷炭(ひょうたん)相容れない対ショの原理と見るのは、むしろ皮相の見解である』と書いた」「『意味』の根拠として、『根本規範』を上回る『根本法』の観念を主張する尾高の攻勢に、所詮は『根本規範』の移動の水準のみで議論する宮沢・8月革命説は、飲み込まれざるを得ない。…劣勢に立たされていたのは、実は宮沢の方だった」「彼の8月革命説は、ケルゼンとシュミットの野合であり、理論的には不純である」「ケルゼン説で、ポツダム宣言受諾による8月革命を説明することは可能だが、尾高説を打倒することはできない。シュミット説で、尾高説を打倒することは一応可能だが、今度は、シュミットの意味での憲法制定権力の移動が、ポツダム宣言受諾のみで成立することを説明できない。…つまり、尾高は、宮沢との論争で敗れていないのである」―やや難解な印象を与えてしまっただろうか。長く憲法学上の通説とされて来た「8月革命説」への手厳しい批判として、一端のみを紹介した。なお11月15日のブログ「憲法学者、長谷部恭男氏の講義」に、「女性皇族がご結婚後も引き続き皇室のご公務を分担して戴くというプラン…は明確に憲法に抵触すると言い切られた」と書いたのは、改めて言う迄もなく、現在の皇室典範の規定(12条)により、ご結婚によって“皇籍を離脱された”後も「引き続き」という意味だ。
念の為。