京都ゴー宣道場、お疲れさまでした。
京都帰りの新幹線のなか。
ライジングの原稿を書きつつ、気分転換にブログを投稿して
います。
笹師範の『戦争論』に対する認識、取材をもとにした
旧日本兵の方々の言葉、いくつもの文献からの引用、
どれも印象に残り、なおかつ自分自身の戦争に対する感覚、
『戦争論』以前と以後の日本の状況について考えを深める
時間になりました。
全体を通して、私は、
ナショナリズムがない、あるいはナショナリズムをまるで
恐ろしい悪の感性であるかのように受け止める感覚から
抜けられないままの状況というのは、
日本人にとって、あまりに大きすぎる欠落ではないかと
改めて思いました。
ナショナリズムがないのに天皇について語る、
ナショナリズムがないのに沖縄について語る、
ナショナリズムがないのに憲法について語る、
ナショナリズムがないのに安全保障について語る、
だからどれもこれも「国の行く末」というビジョンが
まるで見えないのではないかと思います。
自国の意思よりもアメリカのご機嫌のほうが優先だと
いう無意識の奴隷状態、
せめて原爆投下に対する「憤怒」だけでも思い出さない
のかな…と思います。
意思を持って怒るべきときは怒れるように、自分たちの
ことは自分たちで決める責任を持てるように、
そのための立憲的改憲が実現するよう、
今後の「ゴー宣道場」も気合を入れていきましょう。
次回12月の「移民と人権とナショナリズム」もすでに
応募開始しています!