「過去に座り込んで、思い出話をさめざめ語るような女には
なるんじゃない、それはただ時計の針を止めるだけ。
今の連続を回転させていくこと。
それから、他人の世界へ入り込んでいこうとしないこと。
こちら側とあちら側をわきまえる、
それが、女らしいということだと思う」
生きている人は死ぬ。
だけど、遺された言葉がこうして私のなかで呼吸している。
感傷的になることはあったとしても、
「自分には理解者がいない」とか、
「傷ついた心を誰もわかってくれない」とか、
そういう言葉にしがみつくのはあまり好きじゃない。
もちろん助けられることもあるし、助けることもあるけど、
悲劇に居直って、私情・私怨の沼のヌシになってしまうと、
泥のついた手で他人にしがみついたり、足を引っ張ったりして
しまいがちだ。だから気を付けたいし、理解されてたまるか、
という跳ねっかえりも大事にしておきたい。
自分にはまったくなんの非も責任もないのに、
突然に理不尽な厄災が降りかかってきて苦痛を背負うことって、
何度もある。
かと思えば、もう十分に大人であるはずの自分の選択や決断が
間違っていたり、考えが全く足りていなかったりすることもある。
あるいは、苦労を買ってでもその道を望んだり、
誰かを傷つける苦渋と後悔も引き受けて、答えを選択することも
あると思う。
現実ってまったく容赦のないもので、丸く収まるなんて幻想なんだ、
ということを思い知らなきゃ、強くなんてなれないのかも。
そんなことがふと頭によぎる土曜日。
個人のつぶやきです。