憲法学者の木村草太氏が
「憲法は同性婚を認めている」と主張しておられる。その事を、人から教えて貰った。これは、私が前に指摘した内容と、真正面から対立する。どちらが正しいのか。或いは、もっと別な正解があるのか。木村氏の論理は以下の通り(HUFFPOSTライフスタイル2018年5月24日更新)。「(憲法)24条には『婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する』と書いてあります。しかし、この条文が同性婚を否定していると解釈する人は、ここで言う『婚姻』の定義を明確にしていません。…婚姻とは何かを明確にする必要があります」「24条で言う『婚姻』にもしも同性婚が含まれるとすると、『同性婚が両性の合意によって成立する』というおかしな条文になってしまいます。ですから『ここで言う婚姻は異性婚という意味しかない』と解釈せざるをえないのです」「つまり24条は『異性婚』は両性の合意のみに基づいて成立するという意味なのです。…そうである以上、同性婚について禁止した条文ではないということです」「(わざわざ『両性の』とした理由は)旧民法では婚姻には戸主や親の同意が必要でした。当事者の意志が蔑ろにされていた。そして家庭の中で女性が非常に低い位置におかれていた。このために、両当事者の意志を尊重する、とりわけ女性の意志がないがしろにされてはならないということで、あえて両性という言葉にしたのです」「同性愛者の家庭には家庭内の男女の不平等は存在しません。ですから、家庭内の平等についての条文は同性者にはいらないのです」―さすがに一流の憲法学者。巧みな論理の組み立てだ。しかし、残念ながら“素直な”解釈とは言えない。まず、婚姻の定義については、特に限定が付されていない以上、包括的な概念、つまり「異性婚と同性婚の両者を一先ず包含した概念」と捉えるのが自然だろう。予め同性婚だけを(何の断りもなく!)除外している、と解釈するのは無理がある。その両者を含みながら、憲法は婚姻成立の要件を「両性の合意」と規定することで、結果として同性婚を排除したと理解できる。又、「両当事者の意志を尊重す」べき事は、(家庭内に男女の不平等が存在しない)同性婚においても同様だろう。にも拘らず、憲法には「両性」とあるだけ。同性婚でも、異性婚と同じように「両当事者の意志を尊重す」べき事が、どこにも規範として掲げられていない。もし憲法が同性婚を認めていたら、こんな明らかに不公平な取り扱いは、しないはずだ。これも、憲法が同性婚を認めていない為、と理解しなければ説明がつかない。従って、木村氏の解釈は成り立たない。なお念の為に付言しておく。以上は、同性婚そのものへの道徳的判断などとは、全く別の次元の議論だ。あくまでも純粋な憲法解釈論として述べている。その点はくれぐれも誤解しないで貰いたい。私は先日のブログ「LGBTと憲法」で以下のように書いた。「憲法は同性同士の『婚姻』は認めていない、と理解するのが素直な解釈だろう」と。せっかくの木村氏の巧妙な論法ながら、
もう暫くはこの判断を維持することが許されるだろう。