杉田水脈議員の「LGBTは生産性がない」発言、 今日の読売新聞では、自民党内からも批判が 寄せられているとの記事が載っていた。 彼女は以前から似たようなことを発言しているのだけど、 今回の火種になったのは『新潮45』8月号の記事、 『「LGBT」支援の度が過ぎる』だ。 問題発言とされる部分を抜粋する。 「例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの 不妊治療に税金を使うというのであれば、 少子化対策のためにお金を使うという大義名分が あります。しかし、LGBTのカップルのために 税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。 彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」が ないのです。そこに税金を投入することが果たして いいのかどうか」 そもそも「子供を作らない=生産性がない」 という発想自体がおかしい。 そして生産性のない人間には税金を使う必要がない、 と言っているに等しいわけで、 一体この人は人間を何だと思っているのだろう、という ごくごく素朴な疑問が湧き起こる。 人間社会を何かの製造工場だと思っているような 浅薄な人が政治家やってていいのだろうか。 杉田議員は、LGBTの当事者から話を聞き、 彼らは「社会的な差別云々よりも、自分たちの 親が理解してくれないことのほうがつらい」と 言っていると紹介している。 そして親の理解は、制度を変えることでどうにか なるものではない、とも。 私は、そうは思わない。 制度を変えることで一朝一夕には変わらないかも しれないけれど、少しずつ理解が広がっていくことはある。 男女雇用機会均等法だって、施行されてすぐの頃は 違和感を覚える人も多かったと思うけど、 制度の浸透に伴って、少しずつ少しずつ、 「女性は職場の花」とか「男性社員の花嫁候補」 という認識が変わっていったではないか。 生産性云々の次にたまげたのが、以下の箇所。 「リベラルなメディアは『生きづらさ』を 社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、 そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。 それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが 教育の目的のはず」 正論のように聞こえるんだけれども、 それができる人はごく一部に過ぎないことも 同時に知っておくべきだと私は思う。 本当に「生きづらさ」を抱えた人は、 自分の力で乗り越える云々じゃないんだよ。 そうしたくたって、そうできないから、 「生きづらさ」を抱えているんだよ。 それを、「自分の力で乗り越えろ」と言うのは、 「もうお前を見捨てる」というのと同じだ。 それが本当に社会制度のせいなら、どんどん変えて いったらいいじゃない。 それに税金、税金って、書いてあるんだけど、 LGBTのカップルのために税金を使うって、 具体的にどういうことなんだろう。 同性婚は税金というより制度の問題だし、 職場の差別をなくそうという努力は各企業が やることだし。 どれほど税金がかかるのか、 それがいかに筋道が通っていないか、 その説明はないんだな。 とはいえ税金の使い道、確かに大事です。 杉田議員、本当に血税の使い道を考えるなら、 LGBTより加計学園の補助金ビジネスを糾弾しなきゃ ウソでしょう。
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