昨夜の報道や、今朝の新聞で、オウム真理教の流れを改めて振り返った。
地下鉄サリン事件のとき、私は18歳だった。
事件が起きるまでは、朝の情報番組なんかにオウム信者たちが普通に「ゲスト」として扱われて出演していたし、女子アナが空中浮遊を実況中継するような、今考えると能天気すぎて恐ろしい番組を、登校前に朝食をとりながら眺めていた。
坂本弁護士一家殺害事件は、オウム被害者の救済に尽力していた坂本弁護士のインタビューなどを含む番組を制作したTBSが、教団の強硬な要求に応じて、その映像を放送前にチェックさせてしまったことがきっかけだった。
明らかに異常性が見えているのに、大きな声で「あなたたちは我々を血祭りにして満足なんだろう!」「公平公正に扱え!」とクレームをつける教団に委縮して、批判番組を取り下げ、その主張を公共の電波に乗せてしまう現象。
ネトウヨの主張に、どんどん本来あるべき社会の構造が捻じ曲げられていくのとそっくりだと、改めて本当に思った。
歴史とも、社会とも切り離されて、スマホやネットの中に埋没し、そこにころがっている、実態のない、その人にとって「快楽」になるネタだけを摂取して信じ込み、強硬手段に出てしまう。
そんなもん、ダメなもんはダメだ、あり得ないものはあり得ないんだと、はっきり言える人がもっと身近なところに増えなきゃいけないと思う。