今日は午後早めにライジングの原稿を仕上げて、
買ってあった大量の泥らっきょうの薄皮をひたすら黙々と
むきつづけて、たまに生のままバリボリかじりながら
塩漬けにする作業をしていたら、夕方になった。
台所が臭い。ベランダでやればよかった。
でも全部むき終わり、白く輝くらっきょうの粒をザルにあげる
と達成感あるよね。
ほとんど塩漬けにしたけど、4分の1だけ別にして、
思いつきで「CoCo壱番屋」のカレースパイスをまぶしてみた。
どうなるのかわからないけど。
今治の脱走受刑者、やっと捕まってよかったね。
うちの近所で起きた事件だったら毎晩怖かったと思う。
しかし脱走後の最初の3日間ぐらいは、私あまりちゃんと
ニュースを見ていなくて、
「みかん畑からみかんを盗んで食べているようだ」
「民家の軒先から物がなくなった」
「畑の野菜を夜中のうちに盗んで山に潜伏」
などなどの音声を、仕事しながらなんとなく聞いていたので、
てっきり動物園のチンパンジーかなにかが逃げ出して大捜索に
なっているのかと思っていた。
ライジングは、アラーキーのことを書いたよ。
スマホで「インスタ映え」する静物や風景を撮って満足したり、
撮られたいように撮られようとしている人を気軽に撮るような
機会が増えたから、あんまりわからないかもしれないけど、
「写真」ってもともとすごく暴力的な面があるものだと思うん
だよね。
赤の他人の姿を撮ろうとするとわかると思う。
とてもレンズを向けられない場面にだって出くわす。
びびって、後ろ姿を“風景”としてしか撮れない人もいる。
私は被災地取材で、瓦礫は撮ったけど人は撮れなかった。
一緒に津波被災地をまわったフォトグラファーの友人は、
初日、被害の甚大さを目の当たりにして、瓦礫にすらフォーカス
できなかった。プロなのに、痛いほど優しすぎる人だから。
写真てそういう世界だ。
あ、フォーカスできなかった優しい人というのは、
ゴー宣に出ていたジャーナリストの田上順唯君のことじゃないです。