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泉美木蘭
2018.3.29 03:45

憲法21条と、放送法と、首相と会食

政府は、高市早苗「電波停止」発言の際に、国連報告者から
「放送法撤廃」の特別勧告を受けたとき、すぐ跳ねのけたのに、
どうしてそれをいま、急に180度ひっくり返しているのか?

タイミング的に、やっぱり、官邸批判を鎮めるための脅迫手段
に使っているのではと思えてしまう。
読売と産経が声高に「民放解体」という言葉を発信していると
なんだか逆にあやしく思えてしまうのは、
私の良くない感覚かな……。
安倍首相が特にゴリ押ししていると報じられているし、
これじゃ、放送局トップは、ますます首相と会食したがるのでは?

高市前総務相が、放送法第4条「政治的に公平であること」を
根拠にして「電波停止」の可能性について言及したときは、
政府が、放送法よりも上位にある
憲法第21条「表現の自由」を理解していなかった
という大問題が指摘されて物議をかもした。

「政府批判ばかりにかまけていたら、権力は憲法なんか
違反して、おまえたち放送局を取り潰すぞ」

という意味合いになっていたからだ。
数日前、専門家の方からこの放送法の件について指南を得て、
「法解釈次第で政治的介入が可能にもなるような放送法は
本来は撤廃して、業界自身の倫理規定と、第三者機関の
チェックでバランスを保つべきだ」
という考えがあると
聞いたのだけれども、
やっぱり、「憲法」を無視して政治的介入が成り立つ法律が
あり得るのかどうか、というところに疑問が残った。

アメリカでは同様の「フェアネスドクトリン」が撤廃されて
いると言う人もいるけど、
そもそもケーブルテレビ主流で多チャンネル化している国と、
電波方式で数が少なく、なおかつ新聞と連動している日本と
では状況が違うと思う。
急激に自由化を推進した時、権力とカネを持つ者にたちまち
掌握されてしまわないか、価値の順列崩壊もふくめて、
状況を慎重に考えたほうがよいのでは…。

放送法は、「法律」だから「恣意的な法解釈」による問題が
起きてしまうのだろうけど、あれを定めた理由は、
《放送は国民文化に多大な影響を
与えるものだから、
どんな政党・政府・団体・個人からも
支配されることなく
自由独立のものにしなければならない》
という原則からだ。

だから本来、放送局の経営陣は、首相から会食に誘われたら、
「政治的公平の原則が崩れていく可能性がありますから」
と言って放送法を盾にしてでも断らなければならなかったと思う。
でもそれが崩れた。
ここは、メディア側の問題だと思う。
メディアトップに、本来あるべき矜持が失われているということだ。
そこに、組織全体の「忖度」という弱点も絡んでいくのだと思う。

メディアにおける公平・公正は、
「権力を監視する役割を果たす」ということだ。
政権批判と政権擁護をバランス配分して放送することではない。

今回の「安倍政権ゴリ押しで放送法撤廃」が聞こえてくると、
ますます首相に媚びを売れ、という方向に進みやしないか、
「首相と会食」が起こす影響の計り知れなさに目を向けている。
泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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