ゴー宣DOJO

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泉美木蘭
2018.3.2 20:13

そんな大きな偏見ありますか

書かずにおいていることもありますし、
自分の言いたいことを全部書きようがありませんが、
ゴー宣道場を「マイルド化」するほうがいい、
という感覚の意見を先日はじめて聞いたとき、

「ゴー宣道場のほうがおかしいのだから、
もっと身のまわりの
世間に妥協して、
世渡りを優先できる場にしたほうがいい

偏見を持つ側の感覚は正しいのだ」

という意味にしかとれませんでした。
それで、世間についての記事を書いたのですが
ゴー宣道場の参加者の様子を見てそんな狂信的に感じたのか?
この場所は異様だと思うようなことでもあったのか?
そんな風に自分の周りの世間との妥協を望みながら、
「個人」として立憲主義を目指すことと整合性がとれるのか?
不思議に思いました。

学者の方が立場や派閥に縛られているのは理解はできますが、
それでも議論の場に出られないと判断される方には、
十人十色の背景やお考えがあってのことではないのでしょうか。
すべて
「小林よしのり」や「ゴー宣道場」のせい?
それとも、そこまで全体の学問的態度が劣化しているという話
なんでしょうか?

もちろん、自分の意見は護憲から変わらないという方もいて、
改憲派の場所には出ないと考える方はいらっしゃるでしょう、
専門家のお話をお聞きしたい側からすれば残念なことだけど、
そういう判断も当然あり得るだろうなと思います。
でもそれを当然のように「小林よしのり」「ゴー宣道場」のせい
にして、立憲的改憲の障害になるという目で見ているのは、
それこそが、とても大きな偏見ではないのでしょうか。

もちろん、「マイルド」で、摩擦なく、
突出した影響力とそれに伴う反作用が起きるでもなく、
ゆるやかに立憲的改憲論が浸透してゆく、
そのような場が作られるのなら応援したいと思います。

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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