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泉美木蘭
2017.8.16 09:51

美人批判に渦巻くいろんなことについて考えてみた

島根県の泉家には、お盆に実家の仏壇の前にみんなが集まって、
袈裟をまとった祖父の後ろに正座し、みんなで「十二礼」という
お経をあげるという習慣があったけど、
三重県の泉家にはそういう習慣がないので、帰省もせず、
私はなにも変わらず東京であまりにもコツコツ働いております。


美人とセクシズムの問題、
(セクシズムって言葉自体、はじめて使うのでなんか不安だけど)
テレビで活躍する、物言う美人には、論考への批判とともに、
嘲笑うような
「結局、女だからちやほやされてるだけだな」
という感覚、もともと持っている男尊女卑観を噴き出させて、
不当に中傷する人が多いので不愉快ということかなと思います。

美人を見ている側が、勝手に惑わされて見誤ったり、
下駄を履かせたりする心理があって成立することなのに、
そこを考えずに、女の部分だけなじるのはおかしい、
騙された側にも非がある
ことを言うべきじゃないか? という。

西田さんは、よしりん先生がうっかりリベラル美人に騙されて
贔屓目に見ていたことを自己批判されているので、その部分で
フェアだとおっしゃったのではないでしょうか?

そりゃそうだなーと思います。
ただテレビの世界の現実は、まずもって選ぶ時点で
「見栄えする女性が欲しい」
という理由からはじまっているんじゃないかとも思います。現実はね。
見栄えして、見識がありそうで、人気がとれそうな人。
そこからいろんな言動や振舞いを通して人物に評価がついていくので、
本当にきちんとした知識や見識がないのに威張るのが見えたら、
「なんだ、美人なだけか!」
となることも当然あると思う。もちろんその逆もあるでしょう。
この現実はおさえつつ、男性社会のなかの女性の立場というものを
考えないと、硬直したポリコレを作りそうな予感もあるなあ…と。

「男性社会での女性差別」って複雑ですよね。
女性に向けられる社会的な目線、というそもそもの問題もありますが、
男性が女性を…でなく、女性こそが女性を見下そうとする面もあります。

女性は女性に惑わされないので、一貫して手厳しい目で見てますから、

男性が惑わされている現場を見ると、イラッとしますよね。
日本全国、女性の「あるある」だと思います。
でも、こういうとき、イラつきの矛先は、惑わされてる男性よりも、
惑わしている女性のほうに向かったりします。なにアイツ? と。

あれ……向かいません?
私は向かっちゃう!
え? 私だけ?
これって差別かなぁ…?
だとしたら考えないといけないなあ…
しかも、そういうイラつきを、自分も人に与えてるときがあったり
するからな、私って。
って、いまものすごく自分の醜悪な部分を暴露してるかもしれーん!!

それから、これが最終的に突き当たる問題かなあと思ってるのは、
居場所を確保するために、男社会に自分を馴染ませていって、
いつのまにか、女性としての個人を貫けなくなっていく女性が多い、
と感じるところです。特に自称保守系の世界。

あるネトウヨ系のネット番組で、
維新の会の足立康史議員や、自民会派の和田政宗議員含む、
自称保守系の男たちが寄り集まって、
『朝生』の話題になり、
三浦瑠麗さんを「ルリちゃん」と呼んで、いろいろ言ったあと

「まあルリちゃんは、かわいいからいいじゃない(笑)」
「育てないといけないな(笑)」
「ルリちゃんは、俺を朝生に呼べと言ってくれてるんだよね(笑)」
「あんたはかわいい女の子だったら誰でもいいからな(笑)」
「ぼく、ルリちゃんと飯食いにいったことがあるんだよ(笑)」

とゲラゲラ笑いながら話しているのを見ました。
三浦瑠麗さんの論考以上に、ものすごく不愉快でしたよ。
私は取り込まれない、とおっしゃいそうだけど、最近のあまりに
如実な権力志向の言動を見ていると、どうなんだろう…って。
泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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