共謀罪が「一般の方々には関係ない」と言われたところで、
信用なんかできるわけがない。
ゴー宣道場のように一般の庶民が集まって、自分の生活実感から
自由闊達に天下国家や権力について議論しているような場からすれば、
法案が通ってしまったら、まず最初に、
「こんな発言、しても大丈夫なのだろうか」とか、
「あまり過激なことを言ってはいけないのではないか」という感覚になって、
表現の規制、思想の規制を強いられることは明白だ。
WiLL編集部に突入した右翼青年に関するブログのような文章だって、
二度と書けない伝説のブラックジョークになってしまうだろう。
ゴー宣道場でなくとも、権力者の横暴に対する攻撃的な怒りの噴出が、
解釈次第で摘発の対象になる可能性だってできてしまう。
「解釈」だの、「特別法」だので憲法を踏みにじっていくような現状を
見せつけられているから、「テロリスト向けのものだから」と言われて
誰が信用するか! としか思えない。
それに、共謀罪の怖いところは、萎縮させられた市民自体が、
権力側に回って、監視や密告の役割をしはじめることがあるのでは
ということだ。
小さな自尊心のために権力万歳しかできない紅衛兵みたいなネトウヨが
我が物顔でパトロールしてまわるかもしれないし、
社会生活でも、権力側や影響力の強い思想の側に立って正義感を
振り回すような人が一人いれば、自由な会話も憚られるようなことが
起きてくるのでは。
ポリコレ棒どころで済まない話だ。
最近、生活保護の不正受給撲滅のために、職員らが「不正受給はクズ」
「HOGO NAMENNA」などのロゴや英文をプリントしたジャンパーを着て
活動していたというニュースが報じられた。
「クズ」も問題だし、英文にして一見わかりづらくしているのが凄く悪質な
感じを受けたが、なにより背中のプリントの最初の一文が
We are "the Justice", and must be Justice
になっていることが非常に気にかかった。
不正受給はなくしていくに越したことはないが、
行政の人間が、自分たちが正義だ、正義でなければならない、と言って
「正義」をかぶって町を巡回して歩いているという心理状態、
ここが怖いと感じるとともに、現代の日本の危うさを象徴しているようにも
思えてならなかった。
こういった社会現象と、今の政権の皇室に対する態度、そこに「共謀罪」が
組み合わさっていくこと、私は断固反対しておきたい。