皇后陛下82歳のお誕生日に際してのお言葉、宮内庁のHPに全文公開
されていたので読みました。
これまでのお言葉もそうであったように、国内、国外のことに本当に丁寧に
思いを寄せておられ、その慈悲に満ちたあまりに精細なお言葉には、
「敬意」「尊敬の念」の他に言葉が見つかりません。
私なんかは、ほんのひと月前の出来事でも、日々の生活や楽しみの中で
忘れ去ってしまい、一年近くも経てば、それが今年のことであったのかすら
記憶が定かでなくなります。
けれども皇后陛下は、そのようにたちまち忘れ去られてゆく被災者の方々
に思いを寄せられ、誰もが被災する可能性があることを示唆されて、
自然の歴史の中には,ある周期で平穏期と活性期が交互に来ると
いわれますが,今私どもは疑いもなくその活性期に生きており,
誰もが災害に遭遇する可能性を持って生活していると思われます。
皆が防災の意識を共有すると共に,皆してその時々に被災した人々を支え,
決して孤独の中に取り残したり置き去りにすることのない社会を作っていか
なければならないと感じています。
と述べられていました。
阿蘇山の噴火に関しては、
とりわけ今収穫期を迎えている農家の人々の悲しみを深く察しています。
と触れておられたことも、やっぱりさすがだなあと思いましたし、
また、視覚障害者の方が駅のホームから転落死したことに関しても特筆
しておられ、完全に記憶から消し飛んでいた私は、ハッとさせられました。
8月の天皇陛下のお気持ちに関してもご感想を述べられています。
新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は
大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした
表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを
覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
当事者であられる両陛下やご家族のご心情を差し置いて、私たち国民が
「生前」という、死を連想させる言葉を堂々と使っている状況は、確かに
異常な事態だと思います。
もしもこれが自分の親族の話だとすれば、あらゆることを推し量りながら、
ひっそりと話し合って良き方向にもってゆかなければと、暗黙のうちに皆
が感じることだと思います。
「譲位」「退位」という言葉が正常に使われて、滞りなく行われる状況を
整えていれば、このようなご心労をおかけすることもありませんでした。
天皇陛下をお支えするお気持ちをにじませつつ、それでも国民を責める
のでなく「私の感じ過ぎであったかもしれません」とおっしゃられる謙虚さに、
ただただ、本当に申し訳ございませんとお詫び申し上げたい気持ちです。
またそのようなお気持ちのなかでも、皇后陛下はこう述べられています。
私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,
これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,
その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと
持ち続けておりましたので,
皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の
陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。
「皇室の重大な決断」は、やはり、天皇陛下および皇位の継承に連なる
方々によるものでなければならないのであり、配偶者や親族、つまり
皇后陛下であっても「承詔必謹」なのだと、本来の姿勢をお示しになって
おられるのです。
また、このたびのお気持ち表明は、皇太子殿下、秋篠宮殿下ともよく
御相談の上でなされたことも強調されています。
ましてや、「有識者」と言われる人々が先頭に立って、一部の国民たちが、
天皇陛下のお言葉にいちいち逆らうような、「承詔必謹に非ず」な意見を
示しているこのトンデモない状況・・・このままで良いのでしょうか?
「公務負担軽減」「摂政の設置」「退位の是非」など、すでに天皇陛下が
否定されていることをわざわざ論点にすると堂々と宣言した有識者会議、
皇后陛下のこのお言葉をよく噛みしめなければならないのではないでしょうか?