あいつはおかしい、自分は正しく客観視できている!
誰もわかっていないことを自分は指摘しているのだ!
・・・と思ったら、実はあとあと、それって単に、
他人を見くびっていただけだったとわかる、ということが
若いうちから何度も繰り返されるのが、
人間の成長の過程だったりするよね。
これは私自身にも跳ね返ってくることだけど、人ってやっぱり、
そのときの自分のレベルの範囲でしか、他人や物事を判断できない
ところがある。
自分ではわかっていないけど、色眼鏡ごしにしか人を見ることが
できていなかったり。
いや、色眼鏡というより、レンズの内側に鏡のついた眼鏡をかけて
しまっていて、ヘンテコなあいつの目を見ていたつもりなのに、
実はそれは、自分自身の瞳でしかなかった、みたいな。
以前、門弟のMさんが指摘された、
自分の体験や見聞がこびりついてしまうと、社会を見極める目から
客観性が失われてしまう、という現象と似ているかもしれない。
この鏡のレンズを割るには、勇気がいる。痛いから。
他者や物事の背景への想像力を磨く鍛錬もいると思う。
でも、そういった想像力の鍛錬を怠ったままで、
自分の言いたいことを聞いてほしい
自分の背景を知ってほしい
自分の存在を尊重してほしい
という要求だけを他人につきつけて憚らない、
そんな自分のレベルでしか他人を判断できなくて、
他人の足を引っ張る人でいっぱいなのが、
いまの日本の現実なんだよね。
あ。
関係ないようで関係ありそうなんだけど、
私には心の標語がありまして。
恥をかき、頭をかいて、
汗をかき、文章をかく。
恥をかくのがいやで、単にマスかいてるだけになったら終わり。
汗もかかずに文章なんて書けない。
まとまりのない独り言みたいになっちゃった。ちょっと寝不足で。