先日見た、佐村河内守とその妻に密着した映画『FAKE』、
最高だったんだけど、もしも次回作や類似作ができるとすれば、
題材は、ベッキーか、舛添要一がいいのかもしれないな。
『FAKE』には、「バッシングの標的になった少数派の目線を描く」
というテーマがある。
佐村河内守が《聾唖の天才作曲家》として取り上げられていた頃は、
決してメディアが使わなかったような、ものすごく間抜けな人間の部分
がそのまま撮られているから、
観ているうちに、佐村河内守夫妻の言動に愛着が湧いてきて、
なんでもない生活の1ページにめちゃ笑ってしまう。
そして、彼と入れ替わりに大人気となっていったゴーストライターの
新垣隆氏を祭り上げた、ブームの「滑稽さ」が際立って見えるように
なっていて、これがまた笑える。
メディアが、いかにおもしろおかしく、人を、視聴者を、躍らせるもの
なのかがよくわかるとともに、大衆が、どれだけ簡単に、波に乗って
いくものなのかという怖さもわかる。
私は現代音楽に疎いので、佐村河内守については、週刊文春で
事件が報じられるまで知らなかったんだけど、
あのキャラクターの濃さの凄さもあるけど、
そもそも彼の名前とビジュアルで発表された多くの楽曲を、
最高だ、聾唖なのに天才だと讃美した大衆が大勢いたわけだよね?
それが、一斉に翻って、「騙された!」「うそつき!」として、
ケチをつけて叩きはじめた。「CD返品する!」とかね。
「佐村河内は耳が聞こえるのか?」ということよりも、
その大衆の現象そのものが「佐村河内事件」だったんだと思う。
ベッキー事件も進行中の舛添事件も似ている。
舛添バッシングは、もう都政批判でなく、単なるブームだよね。