文春新書『元号』(所功氏他)に「平成」への
改元を巡り以下の記述がある。
「(昭和64年1月7日午後)1時50分から
全閣僚会議(事務方も入る)が開かれ、
さらに2時10分からの臨時閣議において、
新元号は『平成』と決定された。
そこで石原(信雄)官房副長官は直ちに
宮内庁長官の藤森昭一に電話を入れ、
長官から新天皇に『新元号は平成』と報告」と。
これが事実なら、天皇陛下の事前の「ご聴許」は無かった事になる。
つまり“大化”以来の「天皇の元号」という伝統は決定的に喪われ、
「内閣の元号」に変質したという事。
ところが、宮内庁に連絡をしたご本人である石原信雄氏の証言では、
そうではない。
間違いなく、閣議の前(!)に天皇陛下にご報告申し上げている
(『週刊ポスト』平成25年12月6日号、時事通信平成30年
5月5日8時22分配信記事他)。
勿論、同氏の証言を疑う合理的な理由はない。
従って、やはりご聴許は“あった”と理解できる。
というより、ご聴許の為に事前に連絡したとしか考えられない。
あの時、元号の本質はギリギリ守られていたのだ。
言う迄もなく、次の改元の際にも、
この点は決して蔑(ないがし)ろにされてはならない。
専門家の手になる時宜を得た著書の中で、
まさに元号の本質(!)に関わる記述が、
当事者の証言と齟齬しているのは残念だ。
重版の際には訂正される事を望みたい。