「親の心、子知らず」という。
昭和天皇ほど切実に平和を希求され続けた方は
他にいないだろう。
それは戦前・戦中・戦後を貫いた。
にも拘らず、
事実はそうではない。
戦争を回避すべく、立憲君主として最大限の努力をされ、
昭和天皇に見当違いの非難が投げかけられた一例に、
そこで掲げられたプラカードには、
「朕(ちん)はタラフク 食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね」
(昭和天皇は、
日本共産党のある支部(田中精機細胞)のプラカードだった。
しかし、当時の昭和天皇が実際に召し上がっていたのは
野草や芋、
質素を極めたものだった。
ばかりか、国民の食糧事情を改善しようと、
皇室の僅かに残された資産まで、差し出そうとされていた。
食糧危機が厳しかった終戦直後、
しかし、
それを知った昭和天皇は、
帝室博物館(後の国立博物館)
所有されていた美術品などの目録を渡され
(昭和20年12月10日)。
「これ(皇室の資産)
(松村『
松村農相はその目録を幣原喜重郎首相に渡し、
これに対し、
「
提供するなどは面目にかけてもでき
マッカーサーは目録を返し、
取り組みを本格化させたと
(『朝日新聞』昭和54年8月30日付朝刊)。
「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民飢えて死ね」
かけ離れていたか。
今ならはっきり分かる。
しかし現代の皇室についても、
少なくないのではないか。
「親の心、