4月21日、小学校の先生方と立川市の
国営昭和記念公園内の昭和天皇記念館へ。花みどり文化センターの一角のこじんまりとしたスペース。
しかし、貴重な展示物の数々。昭和天皇が実際に、宮殿でのご執務に使っておられた
机と椅子の実物が展示されていて、その意外な質素さに、
驚く人もいた。
ご訪米の時にプレゼントされ、
愛用されていたディズニーの腕時計も珍しいご遺品だ。
昭和天皇の87年のご生涯を短くまとめた映像は、
涙を浮かべながら拝見していた昭和生まれの先生方がいた。
若い先生方からは
「動いておられる昭和天皇を初めて拝見しました」
「昭和天皇が喋っておられるお声を初めて聴きました」
などとの感想も。些かビックリ。
2時間ほど掛けて、私が説明しながら館内を回った。
占領下に昭和天皇は、敗戦後の打ち拉(ひし)がれた
日本各地の国民を慰め、励ます為に、全国巡幸をなさった
(昭和21年から29年まで、総行程33,000キロメートル)。それを早急に準備するよう、
当時の宮内府の次長だった加藤進氏に指示された時のお言葉も、
皆さんに紹介した。「この戦争によって祖先からの領土を失い、
国民の多くの生命を失い、たいへん災厄を受けた。
この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、
また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、
全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、
また復興のために立ち上がらせる為の勇気を与えることが
自分の責任と思う。このことをなるべく早い時期に行いたいと思う。
ついては宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、
自分はどんなになってもやりぬくつもりであるから、
健康とか何とかはまったく考えることなくやってほしい。
宮内官はその志を達するよう全力を挙げて計画し実行してほしい」と。私はこれまで、昭和天皇の巡幸を地元で迎えた何人かの人たちに、
その時の感想を聴いている。それぞれ異口同音に、
「陛下のお姿を拝し、
日本は大丈夫だという安心感が生まれた。
希望が湧いた」という趣旨の感想を述べて下さった。
昭和天皇はまさに戦後復興の最先頭に立たれたのだ。
拝観を終わると同じセンター内の喫茶コーナーに移動。
参加者が感想を述べ合った。
18歳の若者も母親と一緒に参加していた。
彼の飛び抜けて熱心な態度に感心した。
私からは小林よしのり氏の『昭和天皇論』ほか
何冊かの参考図書を紹介し、回覧して貰った。その後、立川駅近くの居酒屋で懇談。
若くて綺麗な女性の先生方に囲まれ、
セクハラ発言をしないよう、懸命に自制していた。
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