先日、井上達夫氏と山尾志桜里氏とわしで鼎談を行なった。
載せるのは『ゴー宣〈憲法〉道場』(毎日新聞出版)だ。
4月末ごろ、発売になる。
このとき、わしは山尾氏に苦言を呈した。
井上達夫氏は第三者だが、非常に的確にわしの言い分を
フォローしてくれた。
諸君、井上達夫はやっぱり人間的に信用できるぞ。
5月3日の「ゴー宣道場」に登壇してくれるから期待
してくれ。
言っておくが、対面して、腹を割って話すと山尾氏は
やっぱりわしの言うことが通じる。
「ゴー宣道場」がマイルドだったら二人を助けられたか、
とわしが言うと、「私だってマイルドじゃない」と主張
した。その通りだ。彼女は分かっている。
倉持に対する意見は「私に言わないで、親分の方から、
言ってください」と言われてしまった。
わしはこの言葉の中に、超合理主義に見える山尾志桜里
の、日本人的な「仁義」の感覚を感じてしまい、驚いた。
政治家という立場、私的な立場、いろんなものが山尾氏
に制約をかけて、公的に言えないことがいっぱいある。
その言えないことを、わしの立場から代弁していたと
いうことも、彼女は分かっていて、ちゃんと感謝してる
ようだ。
鼎談の夜、書いたわしのブログに対しても、翌日、山尾
氏からメールがあって、「感謝してます」と書いてあった。
やっぱり山尾志桜里は信用していい人間性を持っている
と思う。
倉持は若い。あの世代は誰だって調子に乗ってしくじる
ことはある。
わしもあの年齢の頃は血気盛んで無茶苦茶だった。
今でも世間的には無茶苦茶なのかもしれないが、人生は
真面目に正義を追及する感覚と、ケ・セラ・セラが混合
していていいんだ。
倉持よ、落ち込む必要はない。君には両方あるんだ。
「ゴー宣道場」の支持者も、あたたかく見守ってほしい。