わしはもう悟ってしまったのだが、誰も文学なんか読んで
ないし、教養が断絶してしまっている。
それどころか「マトリックス」程度の映画も見てないし、
あの映画の実存の突き詰め方を分かっている者もほとんど
いない。
文学にせよ、哲学にせよ、映画にせよ、漫画にせよ、
古典となる価値のある作品が継承されなくなっているから、
教養の断絶である。
感情の劣化も教養の断絶から起こっているし、人文学部は
要らないという流れも、それを平然と言える大人が出てきた
からだ。
人間はこの先、ますます脊髄反射だけで生きるようになるの
だろうし、人間の進化は終わっているのだ。
トカトントンは連打されて止まない。
『ゴー宣』シリーズも『新・堕落論』が限界であって、
今後はとことん易しく描いていかなければならない。
折り返し地点を今、回ったところだ。
その意味で『よしりん辻説法』は良いヒントになった。
もっと理詰めを破壊して、感覚だけで描いていくように
工夫しなければならない。
その意味では「小説幻冬」で始める『おぼっちゃまくん』は
良き訓練になる。
「立憲的改憲」は国民のための最期の戦いになるだろうし、
これが失敗したら、その先は自分のための快楽のみで
生きるしかない。
トカトントンはわしのBGMになるだろう。