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笹幸恵
2018.2.1 07:32

読了するのは苦難の道のり

『新・堕落論』拝読しました。

なんと濃密な哲学書でしょうか。

自分自身の、あるいは人間としての「堕落」を

考えることは、そのまま「人間とは何か」という

壮大な問いにつながると思います。

見たくもない自分の醜さを見つめなければ

読み進められないのですから、

読了するのは苦難の道のり。

 

各章ごとにいろいろな思いがよぎります。

たとえば第4章、戦時中は死を覚悟して日本民族として一体化し、

充実感に浸っていられたという部分では、

上坂冬子さんを思い出しました。

うんと昔、お話を伺ったとき、

「あなた方の世代には理解できないかもしれないけど、

あのときは迷いもなく突き進む充実感があったわ」と

おっしゃっていました。

戦時中は様々な不自由を強いられていたとしか思っていなかった私は、

なるほどそうかもしれないと妙に納得したものでした。

そうは言っても上坂さんは、自分のアルミの弁当さえ

供出しなければならない現状や、父親の「神風が吹く」という

言葉に疑問を持ったりしているのですが。

 

11章、シュンペーターの「資本主義はいずれ社会主義になる」という指摘、

これも「へええ」と思いながら読みました。

マルクスも資本主義の後に社会主義の時代がやって来ると

言っていたような(最近ちょっとかじっただけ)。

でもマルクスは社会主義を人間の理想郷、あるべき姿のように捉えていて、

資本主義より高次の人間社会だと位置づけていた。

シュンペーターは「創造的破壊」の究極として社会主義(官僚化された社会)を

捉えているから、たとえ表層的に辿るプロセスが同じでも

「進化」なのか「破壊」なのかという点では捉え方がまるで逆。

でも本当のところ、まだよく理解できていないので、

もうちょっと勉強しなくては。

 

12章、PKOの章では、つい最近、私も取材して回ったので、

この欺瞞については激しく頷きながら読みました。

(週刊新潮の今週号です!)

もっとも私の記事は、自衛隊が南スーダンでどんな日々を送っていたのかを

紹介しようという主旨で、PKOの性質が国づくりから文民保護に変わった

(つまりPKOの派遣部隊が交戦主体になった)という箇所は、

編集段階で丸々削除されてしまいましたけれど。

 

ほかにもいろいろ思うところはあるのですが、

圧巻は最終章です。

「ルサンチマン弱者の怜悧さ」、身近すぎて怖い。

 

私の脳内では突如として中島みゆきの「ファイト!」が

流れてきました。

 

ファイト!たたかうきみーのうーたをー

たたかわないやつらがわらうーだろー

 

そうやって自分が高貴な人間になったつもりで

ルサンチマン弱者の怜悧さに唇をかんでみせる一方、

トカトントンという音が聞こえ、私はあっという間に

怜悧な理屈をこね始める側に立つ。

コマを読み進めるうちに、あっち側に立ったり

こっち側に立ったり。怖いうえに忙しい。

ここで第1章と最終章が密接につながっていることに気づく。

トカトントン。

自分もまた、堕落を直視しきれていないのだ、と。

それで頭がこんがらがって「うわーーーー」となっている状態で、

「完」のページに救いを見出しちゃって。

ああ、やっぱり愚か者なんだな。

 

 

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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